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色とりどりの棒

いろいろな棒と思考の記録帳

インド日記 その三

地獄の夜行列車、コルカタ

 

ガヤーからコルカタへの夜行列車は、人生で五本の指に入るQOLの低さだった。まず20時発予定の列車がいつまでも来ないので、駅のホームで雑魚寝する。どこへ逃げてもすぐに蝿と蚊が沸いて、痒い痒い痒い。4時間半の遅れでやっと入線した列車は超満員で、停車する前から降りる人と乗る人が扉に群がって怒鳴りあい、近より難い大混乱になっている。人ごみを掻き分けてなんとか洗面台の下の僅かな一角を確保した我々は、そこに新聞紙を敷いて布団代わりにし、コルカタへの9時間の乗車に耐えることにした。もうこれが最低。目の前は塵が散乱しているし便所臭いし、濡れた靴で新聞紙を踏まれるし、乗客は深夜でも大声で喋るし、車掌になんか厳しく注意されたらしいけどヒンドゥー語なので全く聞き取れないし、頭上で痰を吐かれるし、建てつけの悪い窓からは冷気がどんどん入ってきて、かなり寒い。こんなときはつい家の快適な布団を想像してしまう、でもそれは禁物だ。惨めという感情を棄てて、どの体勢が最も楽かだけを考える。いつかは着くのだから頑張る………(でもいつ着くかは不明)。結局この夜行列車で、持っている服の多くにその不潔な臭いが移ってしまった。もうどうにでもなれ。

ちなみにこの移動、運賃は110ルピーくらいだったと思う。異常な安さだ。同じ列車でもエアコンの効いた寝台車は1200ルピーくらいで、10倍以上の差がある。そして間違いなく、運賃に見合う10倍以上の快適度があるだろう。きっと寝台では10倍の値段の服を着て、10倍(どころではないか)の年収を得る人が、何の不自由もなく寝ているのだろう。うーむ。対照的に、この110ルピーで乗れる車両は20両中たった2両と、乗客数に見合わない少なさ。どの列車も空きっぱなしの扉から人がこぼれ落ちそうなほど混んでいる。つまり、お金のない人たちが詰め込まれて僕たちのような環境に置かれるのは折り込み済みなのだ。うーむ。しかしこの安さなのだし仕方ない部分も………もやもやする。とにかくコルカタには4時間遅れで到着した。

 

コルカタは、地球の歩き方・書籍・先輩旅行者などが口を揃えて、喧騒に満ちた激しい街だと評する。ベンガル語の怒鳴りあいはしょっちゅうで、交通事故は頻発、道端には乞食が並び、麻薬売買が横行し、云々、と、事前にこれだけ脅されればかなりびびってしまう。でも実際いってみると、案外大丈夫というかわりと快適な街だった(件の夜行列車で感覚が狂ったのかも)。まずインドにしては塵が散乱しておらず、それを漁る牛もほとんどいない。従って牛糞もない。これで街全体の臭気はかなり抑えられる。次に、路面電車とバス網が発達していて、初乗り5ルピーの便利な地下鉄もある。市内の移動のためにいちいちリクシャーと交渉する根気が必要ない。これは大きい。確かにひどく愛想が悪くて、飲食店はおもてなし概念が皆無、つり銭を投げてよこすし、ベンガル語で怒鳴られるように何かを指示されたりしたけれど、別にそんなのは構わない。

印象的だったのは、コルカタには観光用ではない人力車がまだ残っていて、手の鈴を静かに鳴らしながら痩せた老人が古びた車を牽いてゆく光景。僕は老人の言い値の300ルピーを60ルピーまで粘って乗った。交渉は、まず300ルピーと言われたら、じゃあいいや他を探すよ、などといって立ち去る演技をする。そうすると、サー!ハウマッチ!などと叫んでくる。まずは30くらいから始め、それは無理だ!といわれ、たいてい50から80くらいに落ち着く。明らかに重労働のはずの人力車や自転車リクシャーのほうが、エンジン付きのオートリクシャーより全然安い。運転手の雰囲気もずっと素朴な感じがする。みんな年老いて見えるのはこの肉体労働と生活のせいで、実はずっと若い人もいるのかも知れない。

たった240ルピーのために粘り、生活費をこの老人力車夫から奪った、などと否定的に考えるのはもうやめた。300ルピーだって多くの日本人にはそこまでの大金とはいえないけれども、だからといって今ここで300を払うことは、逆に彼に対して失礼な気さえした。まさか300ルピーなわけがないとわかっているのに騙された振りをするのは、どこか傲慢さがある。

バックパッカーやヒッピーたちにとって、地球の底みたいにいわれがちなサダルストリート。オートリクシャーの運転手が、ドコイクノ~?アナタハッパいるよね~?、なんて絡んでくる。ハッパ入りラッシーは弱い順に、ライト、ミディアム、ストロング、マハラジャというなんてことを喋っていて、あほか。その後、前日にストロングをやったという日本人とも話した。強烈な二日酔いみたいになるらしい。そうですか。

それにしても運転手兼麻薬密売人とは珍しい組み合わせだ。日本語は誰に教わったのだろうか。一度売れるといくら儲けるのか。その元気で軽妙な口調に、60ルピーで乗った老人力車夫の疲れた表情が重なって、少し苦々しかった。

 

 

インド日記 その二

バラナシ、ブッダガヤー

アーグラーからバラナシへの夜行列車は、現地の旅行代理店に予約依頼をしてあった。だからその晩はひとまず安心というはずだった………。しかし乗り込んですぐに、その切符が一日遅い列車のものだということが発覚し、途方に暮れてしまう。仕方ないのでその場で立席切符を買い、空きっぱなしの扉の前で新聞紙を敷いて雑魚寝しようと準備していた。するとなんと寝台にいた若いインド人が、自分の席を使えといってくる。自分は友達と同じ寝台にいるから構わない、と。

これは本当の親切心だったようだ。まだ旅の始めだったので、そんなうまい話があるわけないと疑心暗鬼になっていたけれども、これもきっとインドのペースということなのだろう。はじめから何もかもを疑ってばかりいたのが、少し恥ずかしくなった。

 

母なるガンジス河に面する街バラナシは、三島由紀夫にいわせれば「神聖な藾」にかかっている。インド中から巡礼者と死者が訪れ、ガンジス河に浸かる。露天の火葬場があるマニカルカーガートという河岸では、何ヵ所からも煙が上がり、あたりは焚火の香ばしい匂いになっていた。

マニカルカーガート。焚火の周りでは牛が暖をとっている。火葬職人は火がよく燃え渡るように、薪と遺体とを棒で突き回している。みていると胡散臭いおじさんがやって来て、一体燃え終わるのに三時間かかる、一日に三百体を燃やす、あれが頭蓋骨だ、などと勝手に説明を始める。それで法外なガイド料やら薪代やらを請求してくるのだ。ドネイション?ドネイション?、と下手な英語でせびる声はなかなか耳から抜けない。遺族は身内の死にあまり悲しむ様子もなく、暇そうにスマホをいじったりしている。世にも奇妙な光景だ。

そこへまた新しい遺体が運ばれてきた。薄い布にくるまれた遺体は、まず鐘の轟音・叫び声などと共に寺院からガンジス河に運ばれて、聖なる水に浸たされる。それから火葬職人によって薪の上に手際よく載せられる。喪主が意外なほどあっさりした手つきで点火すると、火はあっという間に全体に燃えひろがる。僕のいたところからは、遺体の足がよく見えていた。火の中で、まず覆いの布が燃えてなくなり、次に足はじゅうじゅうと音を立てながら真っ赤に爛れて、黒い斑点ができた。呆然とみていると、いつの間にか肉は熔けてなくなり、骨だけになって、ばさっ、と落下した。夕闇の中で火はひときわ明るくて、僕も三島のように何かの啓示を受けられるかとも思ったけれども、結局ほとんど無感情にただ眺めることしか出来なかった。その後は普通に夕飯を食べることができたし、それから普通に寝ることができた。そうできてしまったこと自体に、すこし罪悪感を感じた。

とにかくバラナシはとんでもない街だった。死者も、生者も、その糞尿も、イカサマ師も、乞食も、リクシャーも、野良犬も、野良豚も、野良牛も、その糞尿も、正体不明の塵と汚水も、全てのものが飽和していた。その横を巨大なガンジス河が音もなく流れている。不浄の地とされる対岸は、全く何も存在しない砂地だ。ヒンドゥー教を知らない者としては、そちらが神聖な清浄の土地に見えてしまうが、そうではないらしい。

こうして一日経って文章を書いているうちに、なんだか次第に大泣きしたいような気持ちになってきた。月並みな旅行者の感想なのはわかっているけれども、後になってじわじわと骨に染みわたる光景だった。

 

ヒンドゥーの聖地バラナシの次に訪れたのは、仏教の聖地ブッダガヤーブッダ菩提樹の下で悟りを開いた場所。ブッダガヤーは小さな村だが、アジア各地の仏教寺が集結していて、見比べるのが面白い。悟りを開いたまさにその場所で熱心に祈りを捧げているのはミャンマー人や日本人といった外国人も多く、インド文化の中心のひとつでありながら、逆説的にも少しインド離れしている。静かだった。

村は(これまでに比べれば)とても綺麗で、歩きやすい。それに夜行列車の親切なインド人、それにバラナシのイカサマ師等にまみえまくって次第にインドに慣れてきたので、通りすがりの人と軽く挨拶を交わすことができるくらいにはなった。ペースに慣れてしまえば、街歩きは一気に楽しくなる。わからないことは気兼ねなく聞く。困っている人は助ける。嫌なことははっきりノーという。鉄道はどうせ時間どおりには来ない、チャイでも飲んで駅でだらだらしよう。多少のゴミは道端に棄ててしまえ。

きっとうまくいく。

 

 

インド日記

入国、デリー、アーグラー

トランジットで少し観光した北京を離れて、深夜2時頃にデリー空港へと到着した。手続きを終わらせて空港の外に出た時は土砂降り。あたりは雷とクラクションの喧騒で溢れかえっていて、怖い。

送迎車を頼んでいたので、それに乗ってニューデリー駅へ向かう。とはいえどこに連れていかれるかわからないので警戒していると、途中で何度もいきなり停まっては、その度にここで降りろという。でも肝心の用事はというと、ガス欠だのチャイで一服だのといった具合で、特に騙すつもりも悪気もないらしい。時間があったので、運転手と一緒にチャイで一服してみた。はやくインドのペースを掴みたい。

 

特急列車でアーグラーへ。この街も道端は通行人と三輪リクシャーと牛と牛糞とありとあらゆる塵で溢れかえっている。乗ったリクシャーは運転が荒すぎて牛と激突する。インド人がいきなり片言の日本語で近づいてきて、地球の歩き方に書いてある通りの悪徳商売をふっかけられる。道はアスファルト舗装が未完成で、常に激しい土埃が立ち牛糞の臭いが立ちこめ、警戒していた消化器より先に呼吸器がやられそうだ。身構えていたけれどもやはり度肝を抜かれた。いつも度肝を抜かれると力なく笑ってしまう。あはははは………

そんな街中で、タージマハルの敷地内だけは非常に美化されている。どこから観ても左右対称に設計されている巨大な墓は、とても美しいけれども、かなり不気味でもあった。それが墓だから不気味だと思うのか、その石の無機質さからなのか、それとも牛糞や塵のない世界が突然現れたからなのか、よくわからない。ミナレットのひとつは工事中の櫓がかかっていて、少し景観を損なっていた。しかしそれでタージの魅力が半減したかというとそうではなくて、本来は完璧に左右対称であるという事実自体が、その建築の魅力なのではないだろうか。

 

インドの国民服でもあるクルターとパージャーマーを入手して、それで街を歩いている。しかしインド人が皆それを着ているわけではないし、自分の顔立ちがあまりに日本人なので不自然だ。これでは忍者なりきりセットで京都を歩く外国人みたいなものなのか。いやそれは言い過ぎ、下駄くらいか。剃刀を使わず口髭をはやそうとしているが、全然だめだ。

次は、夜行列車でバラナシに向かう。

 

 

インド準備中

卒業旅行はインドにした。ヒンドゥーの国、カーストの国、カレーの国、ITの国、ぼったくりの国。

期待より不安の方が(断然)大きい。それでも、どうしても死ぬまでに一度は行きたかった。なんでなのかはよくわからない。「インドで自分探しの旅してきます」などと喧伝するのは気色悪いし、ヒッピーにもドラッグにも興味はないし、熱心な仏教徒でもない。ただ、ガンガーを眺めてぼーっとしたい。長距離列車に揺られてぼーっとしたい。だいたいそんな感じです。自分たちの勝手が通じるリゾート地に行って休息するよりは(それもいいけど)、せっかく旅に出たなら未知の世界をみたい思う。

とにかく日記をつけようと思い立った。

下準備。

ビザが難しい。申請書に書き込むことが多すぎる。そのうちいくつかは、あなたがパキスタンと何らかの関係を持っていないか、という項目だ。祖父や祖母までの家系にパキスタン人はいないか、パキスタンと仕事をしていないか、パキスタンパキスタンパキスタン。うーん、どこの国にもその国なりの事情というか問題というかがあるのだなあ。書類は一文字でも間違えると、最初からやり直し。僕の大学の近くにあるビザセンターに行ったら、2時間くらい書き直しと不合格を繰り返していた人が半ベソで、もう私にはわからない、と嘆いていた。

鉄道予約も難しい(というか自力では不可能)。インドの電話番号がないと予約ができないのだ。そんなものあるわけがない。ダミーの番号を入れればいいなどというサイトもあり、適当に入れてみたけれど最後の最後で行き詰まりました。そりゃそうだよね。そこまでに費やした数時間が虚しい。そうしている間にも、どんどん満席になってゆくのが確認できて焦った。結局前半の切符は代行業者に課金した。後半は現地でなんとかする。

事前勉強。

三島由紀夫の『暁の寺』は、タイのバンコクが主な舞台だが、インドのバラナシで啓示を受けたのだという。暁の寺と呼ばれるワット・アルンは、インドにも一緒に行く友達と一昨年に見学したことがあった。もちろん今回バラナシにも行く。だからこの作品には勝手に縁を感じている。三島由紀夫はあんまり好きではない。

沢木耕太郎の『深夜特急』も読みなおした。インド編は最初に夜のカルカッタについてしまうところが好き。外国の知らない街に夜に到着してしまうのは、本当に恐ろしいものだ。何度かそういう経験をした。著者のように道ずれでうまく高級ホテルに泊まれるなんて思ってはいないけれど、まあ窮地にたたされてもたいていなんとかなるものだ。なんとかなってくれないとこまる。なんとかなってください………。

インド映画の『きっとうまくいく』を観た。基本的にはコメディ映画で、けっこう笑った。内容もよかった。なんのために大学に行くのかということ。しばしば役立たずと罵られる文学部(しかも哲学専攻……)にいると、これは嫌でも考えてしまう問題だ。大学に通うのは純粋に学問のためか、それとも将来の成功のためなのか。現実はあの映画ほど単純な二項対立ではないだろうけれども、それでも僕の大学にいると、このことは少なからず如実な分断だったと思う。だからついつい、自分が悩んだり違和感を感じたことに当てはめて映画も観てしまう。でも日本よりよっぽど格差の激しいインドでは、また捉え方が違うのかも知れない。出世できるのかどうかは、想像以上に天と地の差なのかも知れない。そういう視点も頭の片隅において、現地に赴きたい。

中村元 訳『ブッダの言葉』を少しずつ読む。

「寒さと暑さと、飢えと渇えと、風と太陽の熱と、虻と蛇と、―これらすべてのものにうち勝って、犀の角のようにただ独り歩め。」(蛇の章 五十二)

なんだか、しびれる。

 

 

モラトリアムは終わるけれど

大学生もあと1ヶ月だ。学生時代をモラトリアムと表現されると、いや勉強してたし団の仕事が忙しいこともあったし、なんて一瞬反抗的になったりする。でも後から考えれば、どういってみても僕の学生生活は間違いなくモラトリアムそのものだったということになるのかも知れない。行きたいところに行きまくり、弾きたい音楽を弾きまくり、飲みたい酒を飲みまくっていた。好きな勉強を自由にできた。それだけの時間と環境と友達があったおかげで(お金はなかったけれど)。

卒業したら時間に追われる毎日で、これまでみたいに楽しいことをする時間なんて全然なくなってしまうのだろうか。やってみないとわからない。でもまあ全然なくなってしまうということはないんじゃないかな、とも思っている。というか、それじゃ困る。遊んで暮らしたいといっているわけではないが、つまらないのは嫌だ。

小さい頃から親に、「好きなことをして生きるのは、他の人からは楽にみられるけれど本当はとても難しいことなんだよ」と教えられてきた。確かにそうなのだろう。難しいことだからこそ好きなこと(それがなんであれ)をするための努力を惜しんではならないし、なんというか、つまらなくなった理由を忙しさに押しつけてはならないな、とよく痛感する。新しい目標をみつけて、仕事も楽しめるに越したことはない。行きたいところには行く。弾きたい音楽は弾く。飲みたい酒は控えめに。僕みたいなぐうたら人間にとって、学生時代よりハードルは一気に上がるだろうが、やる気と計画性と少しの課金があれば、そういうこともある程度まではなんとかなるような気がする。だからこの先、お前は学生だからいいよなあとか、今よりあの頃は良かったなあ、とか言わないようにしたい。そう言う人を一概に責めることはできないが、自分がそうなるのはやはり面白くない。それに学生だって、大変なのだ。どんなときであれ現状があまりに良くないのなら、臆さずしっかり考え直して行動できるようになりたい。

でも本当はこういう抽象的な目標を立てるのは好きではない。何か大層なことをいっているようでいて、どこまでも空虚で無内容になりがちだから。具体的に、具体的にな。

梅の花が咲いて菜の花も咲いて、挙げ句の果てにほ~ほけきょ!みたいな音まで聞こえてきて、モラトリアムの終焉が肌で感じられる。そうなると、随分ありきたりではあるけれど、こんなことをだらだらと考えたり書いたりしてしまう。弱いなあ。

なんか3月ってそういう季節なのだ。だから、どうか許してください。

 

 

音のサイレンと図画のサイレン

この世界の片隅に』について、局所的な雑感。こうの史代さんの漫画は以前『ぼおるぺん古事記』で初めて読んで好きになり、それから何作かは読んでいる。題材が素敵なのと、女の子が可愛いのと、背景考証が丁寧なのがよい(漫画なのに文献表がついていたりする)。でも『この世界の片隅に』は未読のまま映画を観にいったのだった。

映画はなんといっても、後半(漫画だと中巻あたり)からの空襲警報のサイレンが印象に残った。不吉な音の響きも現実味があるけれども、それより何度も何度も何度も何度も何度も誤報で鳴る空襲警報と、その度に防空壕に避難しなければならない消耗と疲労。単に生活を乱す存在として日常に溶け込んでゆく戦争、そしてある日突然現実となる空襲。実際は最初に街が焼かれたとき、当時の人はどんな目でそれを見ていたのかな。映画館は大音量なので、サイレンの表現は鑑賞者自身への物理的疲労の蓄積としても機能していた。さらにそれが作者の表現上の意図であるようにも感じた。偉そうな評論はできないけれども、少なくとも僕はそれでけっこう疲れた。

ところで音のでない媒体である漫画では、このしつこい警報はどう表現されているのか、それがとても気になって、映画館から出た足で買ってすぐに読んだ。相変わらず女の子が可愛いくて、背景考証が丁寧だ。それでやっぱりけっこう辛い。肝心のサイレンについては、ああなるほど、これはこれで「疲れる」表現だな、とは思ったのだけれども、やはり音による直接的な描写と紙面上の表現とはまた違う。だから、感じるのもなにか違う種類の疲労感なのだ。映画の疲労は物理的、漫画の疲労は長い読書によるもの。でもじゃあ映画の方が良いと思ったかというと、細かい人間の機微みたいなところが省かれていたりもするし、そういうわけでもない。もし原典の漫画を先に読んでいたら、映画のみかたも変わったのかな。まあそんなことはわかるわけがない。

帰り際にうどん屋さんに入ったら、なぜか「森のくまさん」等の他愛ない音楽が流れていて、なんでうどん屋さんで森のくまさんなのか、意味がわからなかった。そしてけっこうしょうもなかった。うどんはまあまあだった。

他愛なくいられることは大切なことだ。年中サイレンが鳴るようになってしまえば、しょうもないことや他愛ないことは追放されてゆく。世界は単色になってゆく。森のくまさんどころではない。

 

 

わかさぎが釣れないという日記

長野県の松原湖というところで初めての氷上わかさぎ釣りをしてきた。そもそも釣りということ自体をそれまで1度しかしたことがなかった。わかさぎ釣りには、主に凍結した湖に穴をあけて釣る氷上釣り、普通の湖で船の上から釣る屋形船釣りがある。氷上の方が雰囲気的に楽しそうだけれど、屋形船だと釣れる場所に案内してくれるので、その分釣果は大きいという利点はあるらしい。氷上は自由度があまりに高くて、ほんの少しの立ち入り禁止区域以外、どこで釣ってもいいしどこで釣ったらいいのかわからない。素人には全然釣れないという。氷は20㎝くらい削ると貫通した。

開けた穴の中の水は、雪と氷に蔽われて暗い。生きている蛆虫をぷちっ、と針にさして、ちょきっ、と切って、体液を流す。それをつけた糸を垂らすのだが、水深が深くてなかなか着底せず少し怖くなった。糸をちょこっと揺らして、わかさぎを誘う。揺らし方にもいろいろあって、ベテランは日によって使い分けるらしい。かかったとしてもその感触はとても小さく、風のなびきと区別がつかないという。というか、ほとんど風だ。

そんなこんなで1匹も釣れない6時間が経過したとき、かすかに、でも今までとは明らかに違う糸の揺れ方があって、引き上げてみると小さいのがひとつ掛っていた。なんというかほっとした。てんぷらにして食ったら、あっさり無くなってしまった。

翌日も日の出前に起きて粘った。-10℃くらい。早朝のほうがまだ少しは釣れるらしく、2時間半で2匹釣った。蛆虫が凍ってしまい硬くなっていて可哀想だったけれど、手でつまむと温まってすぐ復活した。でもその途端に針に刺されて真っ二つにされるのだから可哀想。あとは氷の上で酒を飲んで雪合戦をした。つまり僕は、2日合わせて3匹しか釣れなかったのだ。

わかさぎ釣りには、「まあいいや」という気持ちが重要なよう。ベテランでも釣れないときは釣れないし、それを特に残念がっている様子もない気がした。

帰りは小淵沢行の小海線に乗った。晴れた冬の小海線は本当に楽しくて、野辺山に向かってものすごい坂を一生懸命登る。金峰山が見え、やがて急峻で巨大な八ヶ岳赤石山脈も見える。鉄道日本最高地点の野辺山駅はしかし穏やかな場所で、牛がいてキャベツと天文台があるだけだ。