色とりどりの棒

いろいろな棒と思考の記録帳

鉛筆を力強く握る

紫陽花は綺麗だけれども、ぶわああという感じで一面に咲いているよりも、狭い路地とぼろアパートがあるような街並みに溶け込んでいるのがいい。そんな街中の都電の線路脇とかに咲いていたりすると、なんかいいなあああと思う。梅雨の日は、少し土のついたアスファルトが雨に濡れるあの匂いを、紫陽花の花の匂いと勘違いしてしまいそうになったりする。

昭和30~40年代築、六畳間ふたつくらいのぼろアパートに憧れがあって、実家を出るならそういうところにまずは3年くらい住んでみたい。但しなるべく風通しのいい部屋がいい。天日干しもできた方がいい。それで仕事から帰ったら、ニュースを流し聞きしながら焼きそばでも作って、それから銭湯に行って安めの缶ビールをあけたい。それから蚊取り線香を焚いてその横で本が読みたい。あと都電で通勤してみたい。あとチェコに行きたい。太鼓やりたい。適当な温泉宿で卓球したい。だけれども。

 

この朝、2017年6月15日の朝に決まったことは、オーウェルの『1984年』に喩えてみたり、治安維持法の時代に喩えてみたり、フーコーパノプティコン(よくわかってない)を引用して論じてみたり、やってみればまあいろいろだと思うけれども、とにかくこれでまた未来が一段階暗くなってしまった。朝っぱらからこんなニュースだったので、その後一日中肩が重くなってしまった。

あほうみたいに楽しかった学生の四年間、でもこういうやるせなさを何度感じただろうか。朝ごはんを食べながらニュースをつけたら、なんかスーツを着た大人のひとがぎゃーぎゃー揉めて、騒ぎが収まったと思ったらまた世の中がひとつ狭くなっている。いつもいつもいつもいつもいつもいつもそれ。本当になんなんだろう。これからどうなってしまうのだろう。

しかし、その日そのときは鉛筆を握るのも嫌になるほど落ち込むけれども、そのうちいい感じの小説を読んだりいい感じの音楽を聴いているうちに、こういう負の感情というか反発心は形骸化してしまうものだ。

感情が形骸化?「自分は今やるせない気持ちである」という命題的態度は残っているものの、やるせなさのクオリアがない、というか、だいたいそんな感じの状況になるということ。全くやるせないことだ、と考えつつも、鉛筆は普通に握ることができるようになる、というか。だいたいそういうこと。

 

でもそれは悪いことではない。むしろ、いつまでも絶望して鉛筆が握れないのではちょっと弱い。一方で、こういう反感や過去のいろんな考えを忘れて、時とともにどうでもよくなってしまうのも弱い。このどちらになってもいけないなと(反省を含め)よく感じるのだけれども、それはなかなか難しいことだ。

こういう難しさに対して、文章を書くことはとても役に立つ。うまい具合に日記を書けば、そのとき感じた「あの鉛筆の握れなさ」さえも、想起させることができると思う。うまい具合の歴史書を読んでいると、その時の空気さえも感じることができるように。理解したことを文字にして保存できるように、感じたこともある程度は保存できると信じたい。

とにかく強さがほしい。強くなって、このやるせなさを忘れないで、いろいろなことを知らなければならない。それで、どんな不都合なことを知っても、常に鉛筆を力強く握っていることが必要。本当に、何もかもいよいよ他人ごとではないのだ。

 

そのあたりをうまくやりたい。

 

 

ひとりごと、宇治拾遺物語へのリンクつき

僕の敬愛する町田康は『きれぎれ』で芥川賞をとっているけれど、その前にも『けものがれ、俺らの猿と』で最終候補まで残っていたことがあるようだ。芥川賞全集の該当巻を借りて後ろの方を読むと、一見して物語展開は支離滅裂、いや十回読んでもやっぱり支離滅裂なこれらの小説に、選考委員である石原慎太郎がなんとかみたいなコメントをつけているカオスな風景がみられる。(目取真俊芥川賞をとっているので、やっぱり石原慎太郎がなんとかみたいなコメントをつけており、やれやれコンテンツだった。)

 

芥川賞とかなんとか賞だから偉いとか読んでみる価値があるという意識は別に持っていないけれど、なんとなく町田康芥川賞をとるなら『権現の踊り子』とかの方がさもありなんじゃない??と感じる。それかいっそのこと『逆水戸』とかもその系列だと思う。でもこれはちょっと短すぎるのかな。

それともこういうのはまだテーマがはっきりしすぎていて支離滅裂さが足りなくて、つまりなんか病んでいなくて迫力がないということか。だとしたら随分不健康な選考基準だ。

後日補足:すっかり勘違いしていたのですが『権現の踊り子』は芥川賞後の作品だった。これじゃあ理屈があんまり成り立たない、ごめんなさい。

 

選考基準とか評価って、それ自体どういうことなんだろうか。よくわからない。なんであろうと興味があるのは作品自体だ。なんか難しい理由があるわけではないけど、好きな小説でもその解説書とかを真面目に読む気にはならないし、「これはこういうことを伝えたかったのだ」とかどうでもいい。それは単なるあなたの解釈でしょって思ってしまって、ちゃんとした考証があってもそんなに重要度が理解できない。

最近、町田康宇治拾遺物語を口語訳したのが載っている『日本文学全集8』を遂に買ってしまった。想像を絶する馬鹿馬鹿しさに電車の中でも笑いを堪えることが出来ずにいる。

 

ところで、自分でもいま何を書いているのか全くわかっていない。気持ちがけっこうへとへとだ。へとへとの時はなんでもいいから何か文章を書いてみるといい気がする。だから適当に書いた。しかし、いかんせんスマートフォンで書いたので、目の奥が一層へとへとになった。いみじきことだ。

 

宇治拾遺物語、サンプルで一話読める。

https://kawadeshobo.tumblr.com/post/129340109097/

町田康訳  『宇治拾遺物語』より

「奇怪な鬼に瘤を除去される」

 

これも十分しょうもないけれど、しょうもない下ネタがないだけまだまとも。

 

 

阪神高速14号高架橋

通天閣を抜けて、北側から南へとアーケードに入る。

さっきまで溢れそうなほどいた観光客はうそのように消え、カラオケ付き居酒屋からヴィブラートの利きすぎた下手な歌声がこだまし、どこからともなく不思議なにおいがしてくる。大阪には至るところにアーケードがあるが、山王のアーケードは明らかに雰囲気が違う。少し緊張して、せき立てられるように歩く。しばらく行ってから左に曲がれば、両脇には提灯が並び、桃色の光がぼうっと光っている地帯だ。遂に来てしまった。

一方、大阪阿部野橋駅から西方向に入ろうとすると、それは突如現れる。綿密な都市計画に基づいて最近建てられたのであろうマンション群の坂を下ると、いきなり視界が開ける。なんの前触れもなく、いきなりそこにたどり着いてしまうのだ。あまりの唐突さに、お互いの区画がもう一方の区画を決定的に無視し、存在をなかったことにしているようにさえ思える。

 

花街に入ると、いろいろなものをなかなか直視できない。料亭のひとも、道行くひとも、なにか目があってはいけない気がした。呼びの甘い声(しばらく耳に残りそうだ)、どこからともなく聞こえる15分タイマーの音………自分がここを歩いていても不思議ではなく、いやむしろ充分ここにいてしかるべき部類の者だということを、強く意識させられる。滑稽すぎだ。あの隙のない笑顔、その時どんな気持ちなんだろうか………。

ガンジス河がバラナシの喧騒を静かに見守っていたように、阪神高速14号線の高架橋が花街を見守っている。けれども高速の高架橋は、街の中心を貫きながら街の営みとは全く関係性を持たない。ただ、そこを貫くだけなのだ。高速道路を車で走っているだけでは、下の街がどういう街なのか、まず気づくことはないだろう。

 

それで100mくらい歩いたらなんかへとへとになってしまって、普段ならまず買わない甘い缶コーヒーを買って高架橋の下で飲んだ。それからすぐ帰ってしまった。それで予定どおり。

 

 

初任給や初乗り運賃とはあまり関係のないこと

就職して、毎日7時に起きるようになって、髪の毛を欠かさずいじくりまわして、欠かさず水筒にコーヒーを詰めて、少しはタイピングが早くなって、でも相変わらずmicrosoft officeは僕の言うことを聞かなくて、支給されたiPhoneは使い方がさっぱり分からず笑われて、でも笑った奴はwindowsがさっぱり分かっていなくて、新しいシャツを買って、眼鏡とスーツとリュックも新調したいけれどそれはまだで、まあ人にはけっこう恵まれている。

そういっているうちに初任給などをゲットした。高いようで安く、安いようで高い。確定拠出年金とか将来の費用とか諸手当とか考えていたら、感慨などは一瞬で雲散霧消、残ったのは長すぎるこの後の人生についての淡白な数字の計算なのであった。これから世界がどうなっちゃうのかわからないし、日本も、自分も、どうなっちゃうのかわからない。メメント・モリだ。

 

学生時代のこと。

あの頃はほとんどをお出かけと音楽に使ってしまったので、お金がなさすぎた。だから初乗り運賃130円を節約して何キロも歩いたり、タクシーはひとりなら絶対に使わないと決めていたりした。使ったら昼ごはん抜きとか。あほだったけど、あほにはそれが楽しかったのだ。定期券を使ってただで都心に出られるようになると、それが逆に寂しかった。

今のこと。

結局この前も、天気のいい日曜日に原宿から目黒まで歩いた。目黒川の作った河岸段丘を下って、小さな坂の名前とかを知って、けっこういいコースだ。これで154円の節約。なんだか進歩していない。それでも長い距離をさくさく歩くことは、何か懐かしい行為になってゆく。逆にタクシーをお構いなしに使うことは、何か決定的に自分をおじさんにしてしまう行為だという直感がある。一気に老け込んでしまいそうで怖い。お金はできたのに相変わらずこんなけちくさいことをしているからには、やはり過去の忘れがたさがある。ぼろいリュックの重みとスニーカーから伝わる地面の感触に安心してしまう。

山崎ナオコーラの小説に、昔は自転車にふたり乗りしていた恋人とお互い立派な大人になって再会したところ、疲れたからタクシーを使おうと何度も言われて「しょんぼり」する、という場面がある。寂しい。寂しいな。どうすることもできない時間の流れは、そういう小さなところに最も凝縮されてゆくのかも知れない。

別に学生に戻りたいとかというわけではない。もっと勉強はしたいけど、今も今でよいし、昔は良かった主義は危険だ。だから今は、あほみたいに歩いて、しっかり仕事して、本を読んで、しっかり仕事してお金ためて、やっぱりなぜかあほみたいに歩く。歩きまくった後のビールは最高。

 

そんな日常を過ごすのがしばらくの低すぎる目標です。目標達成に向け日々邁進いたしますので、今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

こっそり映画を観る

映画を観る。映画館にはよっぽど興味があるやつがないとあまり行かない。じゃあどこで観るんだというと、amazon studentの割引が適用されるうちに登録して映画見放題した方がいいぞといわれ、そうかっていうんで課金したということだ。だから映画を観るといってもラップトップPCで観るだけ。ヘッドホンが高級品なので音の迫力があるわりに、映像はやたらとこぢんまりしている。

何を観るかといえばいろいろなのだが、新しく観るようになったのは、正直にいうとレイティングのあるR15+やR18+の映画。「愛の渦」とか「海を感じる時」とかそういうやつ。小心者なので映画館で観るのは気が引けるし、DVDとテレビで観るのはひとりであってもそわそわしてしまう。だけど、こぢんまりしたPCの画面ならなんかできてしまうものだ。

過去を思い返せば、年齢制限のある映画はR15+を15歳になってすぐに友達と観に行ったことがあった。大人ぶって調子に乗っていたのだ。しかし折角観には行ったのだが、映画の内容はただただ暴力・強姦・殺人といった感じで、全然よい印象はない。つまらなかった。そういうわけで、それ以来どこかに年齢制限のある映画に対する蔑みに似た感情があり、そんなくだらないものをわざわざ観ようなんて思わなかったというのもある。それから約7年が経った今はその態度をちょっと反省して、そういう過激表現系(?)の映画ももう一度観てみようと思い至った。

改めて観てみると、こういう映画の魅力は往々にして余計な無害化というか毒抜きをされることがないことかも知れないと思った(うまい表現がみつからない)。製作者が表現したいそのままに近いものを、万人に観られることへの自主規制とかに走ることなく表現できる、という背景があるのかな??とか考えてみる。(年齢制限がある映画なんて観ないという成人もいるだろうし、鑑賞者の篩として制限は機能するはず)。反社会的なもの、例えば露骨な性的表現や暴力が含まれる作品であっても、予め年齢制限がかかっているんだから多少はいいでしょ、という感じで、それを「盾」として比較的自由に表現できるという点で、制限も一役買っているのかもと思った。まあ制限のせいで不必要に過激化して展開を損ねることが半分以上な気もする。とにかくそれとは関係なく、露骨な生死のことや、露骨な性のことを含めて展開する物語というのは、むしろ現実の中にある物語の感覚や、社会的に隠されるべき興味にも近しいだろうし、それとは反対に、当たり障りのない無害化された世界の中で「濃密な人間ドラマ」的なものを無理に繰り広げれようとすれば、うわっなんかわざとらしいなーーとか、わかってるようなこといっちゃってちゃちいなーーとか、感じてしまう気がする。このことは別に年齢制限と直接は関係ないけど、年齢制限のある映画を複数観ることでこんな感覚が出来上がってきた。あれれ。

僕は表現の大胆さや過激さ自体にはそんなによさを感じられない。だからド派手な暴力・強姦などをやってのける極悪人をド派手にぶっ殺す、ということに主眼をおいているような映画を好きにはなれないし、15歳の時にみたあの映画は22歳の今観てもつまらないのだろう。嫌悪感というより、しばらく観ていると話が単調すぎて飽きてしまう。だからR15+やR18+の映画や、それに準ずるような映画が全て自分にとって面白いものであるとは全くいえなそうだし、でも一方でこれはかなり好きだな!!!とか、つまらなくてもプロットやカメラワークとかでなるほどなーー思えるもの(ど素人ですが)も発掘できたということ。その点では、最近観るものは気に入るかどうかの振れ幅が大きすぎて笑える。つまらない映画に出会えるのも、ある意味では見放題の特権だろう。

いつものことながら、なんかまとまらない。鑑賞に制限があること自体の潜在的な危険さも忘れてはいけないし。それに、もっと具体的にいろいろ書いてみたかったんだけど、露骨な映画の内容に言及する勇気がなくて、結局抽象的にまとめてしまいました。情けないね。

まあとにかく、僕は今のところ生きています。

 

 

石拾い

学生最後の一日。小雨、微妙に寒く、かといって凍えるほどではない。今日は暗いし、僕の部屋はそもそも朝の光が届きにくく、また寝坊した。

新生活、に向けて準備することは多くなかった。そしてどれも3月前半までには終わってしまった。引っ越しもないし、役所に届けるべきことも済んだ。卒業式も旅行お別れ会もすでに過去になり、最後の日は特に何もない日だ。新生活、とはかけ離れた普通の一日。

新生活、といってやたら発破をかけてくるのはちょっと商業戦略っぽいにおいがして、このことばを使って清々しい気分になったりするのはなんか悔しい。頼んでもいないのに「新生活応援グッズ」の広告がどんどん来て、人の生活を勝手に新しくするなーー!!などとその度に家でわめいている。あほだ。これからの生活を果たしてどれだけ新しいものと感じることができるのか、やってみないとわからない。楽しみ。

何かを書きたいのに、驚くほど内容を思いつかない。

だらだら雑誌を読んでいたら、青森県に石拾いの聖地みたいな海岸があるという記事があった。まあ聖地といっても別に聖地ではなく、奇石がたくさん落ちているとかというわけでもないらしい。特別なものは何もない。石拾いでは、自分がいいと思える石を拾えさえすれば、それだけで価値になる。特に目立った石や珍しい石でなくても、それをなんか良いなと思って持って帰れるくらいの大らかさが、ここでは大切なのだ。自分はなぜか、うずらの卵みたいなやつが昔から好き。

僕にとっての石拾いの聖地は、幼い頃からよく行った小田原の海岸だ。住宅地を抜けて、西湘バイパスをくぐって、がらんとした海岸に出る。海は別に綺麗でもないし汚くもない。うずらの卵石を拾ったり、海に投げたり、それからつげ義春の『無能の人』を少し思い出したりして、苦笑いする。無能の人は石ころに石ころ以上の価値を見いだそうとしたから失敗したのである。あほだ。本当に無能だよなぁと考えながら家に帰る。そんな日が少しあれば、何が大丈夫なんだかわからないけれど、とにかくこの先も大丈夫だと思う。

何もない日、石を拾いたくなる日。小雨、微妙に寒く、かといって凍えるほどではない。新生活、が。

 

 

インド日記 その三

地獄の夜行列車、コルカタ

 

ガヤーからコルカタへの夜行列車は、人生で五本の指に入るQOLの低さだった。まず20時発予定の列車がいつまでも来ないので、駅のホームで雑魚寝する。どこへ逃げてもすぐに蝿と蚊が沸いて、痒い痒い痒い。4時間半の遅れでやっと入線した列車は超満員で、停車する前から降りる人と乗る人が扉に群がって怒鳴りあい、近より難い大混乱になっている。人ごみを掻き分けてなんとか洗面台の下の僅かな一角を確保した我々は、そこに新聞紙を敷いて布団代わりにし、コルカタへの9時間の乗車に耐えることにした。もうこれが最低。目の前は塵が散乱しているし便所臭いし、濡れた靴で新聞紙を踏まれるし、乗客は深夜でも大声で喋るし、車掌になんか厳しく注意されたらしいけどヒンドゥー語なので全く聞き取れないし、頭上で痰を吐かれるし、建てつけの悪い窓からは冷気がどんどん入ってきて、かなり寒い。こんなときはつい家の快適な布団を想像してしまう、でもそれは禁物だ。惨めという感情を棄てて、どの体勢が最も楽かだけを考える。いつかは着くのだから頑張る………(でもいつ着くかは不明)。結局この夜行列車で、持っている服の多くにその不潔な臭いが移ってしまった。もうどうにでもなれ。

ちなみにこの移動、運賃は110ルピーくらいだったと思う。異常な安さだ。同じ列車でもエアコンの効いた寝台車は1200ルピーくらいで、10倍以上の差がある。そして間違いなく、運賃に見合う10倍以上の快適度があるだろう。きっと寝台では10倍の値段の服を着て、10倍(どころではないか)の年収を得る人が、何の不自由もなく寝ているのだろう。うーむ。対照的に、この110ルピーで乗れる車両は20両中たった2両と、乗客数に見合わない少なさ。どの列車も空きっぱなしの扉から人がこぼれ落ちそうなほど混んでいる。つまり、お金のない人たちが詰め込まれて僕たちのような環境に置かれるのは折り込み済みなのだ。うーむ。しかしこの安さなのだし仕方ない部分も………もやもやする。とにかくコルカタには4時間遅れで到着した。

 

コルカタは、地球の歩き方・書籍・先輩旅行者などが口を揃えて、喧騒に満ちた激しい街だと評する。ベンガル語の怒鳴りあいはしょっちゅうで、交通事故は頻発、道端には乞食が並び、麻薬売買が横行し、云々、と、事前にこれだけ脅されればかなりびびってしまう。でも実際いってみると、案外大丈夫というかわりと快適な街だった(件の夜行列車で感覚が狂ったのかも)。まずインドにしては塵が散乱しておらず、それを漁る牛もほとんどいない。従って牛糞もない。これで街全体の臭気はかなり抑えられる。次に、路面電車とバス網が発達していて、初乗り5ルピーの便利な地下鉄もある。市内の移動のためにいちいちリクシャーと交渉する根気が必要ない。これは大きい。確かにひどく愛想が悪くて、飲食店はおもてなし概念が皆無、つり銭を投げてよこすし、ベンガル語で怒鳴られるように何かを指示されたりしたけれど、別にそんなのは構わない。

印象的だったのは、コルカタには観光用ではない人力車がまだ残っていて、手の鈴を静かに鳴らしながら痩せた老人が古びた車を牽いてゆく光景。僕は老人の言い値の300ルピーを60ルピーまで粘って乗った。交渉は、まず300ルピーと言われたら、じゃあいいや他を探すよ、などといって立ち去る演技をする。そうすると、サー!ハウマッチ!などと叫んでくる。まずは30くらいから始め、それは無理だ!といわれ、たいてい50から80くらいに落ち着く。明らかに重労働のはずの人力車や自転車リクシャーのほうが、エンジン付きのオートリクシャーより全然安い。運転手の雰囲気もずっと素朴な感じがする。みんな年老いて見えるのはこの肉体労働と生活のせいで、実はずっと若い人もいるのかも知れない。

たった240ルピーのために粘り、生活費をこの老人力車夫から奪った、などと否定的に考えるのはもうやめた。300ルピーだって多くの日本人にはそこまでの大金とはいえないけれども、だからといって今ここで300を払うことは、逆に彼に対して失礼な気さえした。まさか300ルピーなわけがないとわかっているのに騙された振りをするのは、どこか傲慢さがある。

バックパッカーやヒッピーたちにとって、地球の底みたいにいわれがちなサダルストリート。オートリクシャーの運転手が、ドコイクノ~?アナタハッパいるよね~?、なんて絡んでくる。ハッパ入りラッシーは弱い順に、ライト、ミディアム、ストロング、マハラジャというなんてことを喋っていて、あほか。その後、前日にストロングをやったという日本人とも話した。強烈な二日酔いみたいになるらしい。そうですか。

それにしても運転手兼麻薬密売人とは珍しい組み合わせだ。日本語は誰に教わったのだろうか。一度売れるといくら儲けるのか。その元気で軽妙な口調に、60ルピーで乗った老人力車夫の疲れた表情が重なって、少し苦々しかった。