色とりどりの棒

わかりたい

途中下車とかのよさについて

どうしても旅に出たい、しかしお金が決定的に、ない ―――こういう憐れな学生の強い味方が「青春18きっぷ」だ。

日本全国の普通列車に乗り放題で、5枚刷り11850円。首都圏を始発で出発すれば、たった2370円で北は青森県、西は山口県(裏技を使えば九州)まで到達できる。

こんないい話があるかよ!というわけで、学生の間にかなり18きっぷでの鈍行列車旅をやってきた。

とはいえ18きっぷ旅は、移動時間そのものや途中下車での街歩きを楽しむことができなければ、死ぬほど退屈だしかなり苦痛だと思う。ところがこのような旅の類型に慣れてくると、こういった目的地に至るまでのさまざまな「過程」が愛しくなってくるものだ。

3月、始発で上野駅を発って北海道に向かうと、1時間北上する毎に景色が冬に戻ってゆくのがわかる。乗り継ぎの待ち時間には小さな街を歩く。仙台では牛タン弁当を買う。岩手山を眺めれば天気は猛吹雪だ。北海道に渡ると川は凍りつき、車窓の水滴さえ氷の結晶になっていた。氷点下20度の音威子府という村でなぜか放り出されたりもした。あれはまじで寒かった。そしてとうとう日本最北端の稚内に丸2日かけて到達する。すごい達成感だ。

しかしいま、世の中の移動は「どこでもドア」にどんどん近づいている。密閉空間で均質な空を飛ぶ飛行機も、僕にとってはどこでもドアとさほど変わらない。旅のどこでもドア化は、予めガイドブックなどで得た情報を、実際目的地に直行し消費することで満足を得るという類型を強化するだろう。あるいは、人間同士の触れあいさえもがボランティアツアーなどという形で盛り込まれ、消費される。ここで旅は極度に「インスタント」な存在になる。便利で安全だし別に一概に悪いことと言いたいわけじゃないけど、僕は個人的にそれじゃ満足できないなと思ってしまう。

一方、この過程を大切にする旅 (それどころか、目的自体がはっきりしない旅) のあり方というのは、江戸時代においてしばしば爆発的に流行したお伊勢参りの頃から、その源流はあったようだ。

伊勢参り 大神宮へも ちょっと寄り」

という当時の川柳がある。伊勢参りという名目で旅をするものの、肝心の伊勢神宮には少し寄っただけ、ということだ。参詣用の手形で各地の関所を通過するはいいが、実際は道中の名所を見物したり好色が宿場の遊廓で金を使い果たして帰れなくなったりという有り様、なんてこともあったらしい。「予め設定された第一目的とは無関係な過程自体を楽しむ姿勢」という意味では、これらの話にも18きっぷ旅っぽさを感じる。楽しそう。

さて時代が下り、明治時代になると鉄道が登場する。夏目漱石は『草枕』の最後にこんなことを書いていた。

「汽車ほど二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百という人間を同じ箱へ詰めて轟と通る。情け容赦はない。[…]人は汽車に乗るという。余は積み込まれると言う。人は汽車で行くという。余は運搬されると言う。汽車ほど個性を軽蔑したものはない。」

うーん、漱石は余程汽車が嫌いそうだ。僕が飛行機などの「どこでもドア的存在」に対して感じていることを、明治人は当の鉄道に対して感じていたのかも知れない。峠の茶屋で食べる団子(※想像)や旅籠での人情話(※想像)といった古き良き旅の過程が鉄道によって失われた喪失感という意味では、わからないでもない。知らない街での途中下車や駅弁を買う楽しみという過程が飛行機によって失われつつある喪失感に似ているのではないか。

ここまで書いておいてあれだけど、僕は飛行機の旅も好きです。真冬にコートを着込んで羽田空港に向かって、クアラルンプールへと7時間半椅子に座って待つ。するとあら不思議、機体を降りれば突如熱帯のむし暑い空気に包まれる。あの瞬間の面食らった感じというか異国に単独ぶちこまれるわくわく感というか、そういうのも捨てがたい。まあ行けるものならどこへだって鉄道で行きたいけどね。

ほとんど引けなかったけど、講談社学術文庫に『旅の今昔物語』(沢寿次, 1981 講談社)という本がある。間違いなのでは?という部分もあるし少し古いが、通史的に古代から昭和後期までの旅の歴史が軽い語りで論じられていて、面白い。もし18きっぷ旅をすることがあれば、車内での暇つぶしにおすすめです。