色とりどりの棒

わかりたい

モラトリアムは終わるけれど

大学生もあと1ヶ月だ。学生時代をモラトリアムと表現されると、いや勉強してたし団の仕事が忙しいこともあったし、なんて一瞬反抗的になったりする。でも後から考えれば、どういってみても僕の学生生活は間違いなくモラトリアムそのものだったということになるのかも知れない。行きたいところに行きまくり、弾きたい音楽を弾きまくり、飲みたい酒を飲みまくっていた。好きな勉強を自由にできた。それだけの時間と環境と友達があったおかげで(お金はなかったけれど)。

卒業したら時間に追われる毎日で、これまでみたいに楽しいことをする時間なんて全然なくなってしまうのだろうか。やってみないとわからない。でもまあ全然なくなってしまうということはないんじゃないかな、とも思っている。というか、それじゃ困る。遊んで暮らしたいといっているわけではないが、つまらないのは嫌だ。

小さい頃から親に、「好きなことをして生きるのは、他の人からは楽にみられるけれど本当はとても難しいことなんだよ」と教えられてきた。確かにそうなのだろう。難しいことだからこそ好きなこと(それがなんであれ)をするための努力を惜しんではならないし、なんというか、つまらなくなった理由を忙しさに押しつけてはならないな、とよく痛感する。新しい目標をみつけて、仕事も楽しめるに越したことはない。行きたいところには行く。弾きたい音楽は弾く。飲みたい酒は控えめに。僕みたいなぐうたら人間にとって、学生時代よりハードルは一気に上がるだろうが、やる気と計画性と少しの課金があれば、そういうこともある程度まではなんとかなるような気がする。だからこの先、お前は学生だからいいよなあとか、今よりあの頃は良かったなあ、とか言わないようにしたい。そう言う人を一概に責めることはできないが、自分がそうなるのはやはり面白くない。それに学生だって、大変なのだ。どんなときであれ現状があまりに良くないのなら、臆さずしっかり考え直して行動できるようになりたい。

 

でも本当はこういう抽象的な目標を立てるのは好きではない。何か大層なことをいっているようでいて、どこまでも空虚で無内容になりがちだから。具体的に、具体的にな。

梅の花が咲いて菜の花も咲いて、挙げ句の果てにほ~ほけきょ!みたいな音まで聞こえてきて、うわあ、モラトリアムの終焉が肌で感じられる。そうなると、随分ありきたりではあるけれど、こんなことをだらだらと考えたり書いたりしてしまう。弱いなあ。

なんか3月ってそういう季節なのだ。だから、どうか許してください。