色とりどりの棒

わかりたい

インド日記 その二

バラナシ、ブッダガヤー

アーグラーからバラナシへの夜行列車は、現地の旅行代理店に予約依頼をしてあった。だからその晩はひとまず安心というはずだった………。しかし乗り込んですぐに、その切符が一日遅い列車のものだということが発覚し、途方に暮れてしまう。仕方ないのでその場で立席切符を買い、空きっぱなしの扉の前で新聞紙を敷いて雑魚寝しようと準備していた。するとなんと寝台にいた若いインド人が、自分の席を使えといってくる。自分は友達と同じ寝台にいるから構わない、と。

これは本当の親切心だったようだ。まだ旅の始めだったので、そんなうまい話があるわけないと疑心暗鬼になっていたけれども、これもきっとインドのペースということなのだろう。はじめから何もかもを疑ってばかりいたのが、少し恥ずかしくなった。

 

母なるガンジス河に面する街バラナシは、三島由紀夫にいわせれば「神聖な藾」にかかっている。インド中から巡礼者と死者が訪れ、ガンジス河に浸かる。露天の火葬場があるマニカルカーガートという河岸では、何ヵ所からも煙が上がり、あたりは焚火の香ばしい匂いになっていた。

マニカルカーガート。焚火の周りでは牛が暖をとっている。火葬職人は火がよく燃え渡るように、薪と遺体とを棒で突き回している。みていると胡散臭いおじさんがやって来て、一体燃え終わるのに三時間かかる、一日に三百体を燃やす、あれが頭蓋骨だ、などと勝手に説明を始める。それで法外なガイド料やら薪代やらを請求してくるのだ。ドネイション?ドネイション?、と下手な英語でせびる声はなかなか耳から抜けない。遺族は身内の死にあまり悲しむ様子もなく、暇そうにスマホをいじったりしている。世にも奇妙な光景だ。

そこへまた新しい遺体が運ばれてきた。薄い布にくるまれた遺体は、まず鐘の轟音・叫び声などと共に寺院からガンジス河に運ばれて、聖なる水に浸たされる。それから火葬職人によって薪の上に手際よく載せられる。喪主が意外なほどあっさりした手つきで点火すると、火はあっという間に全体に燃えひろがる。僕のいたところからは、遺体の足がよく見えていた。火の中で、まず覆いの布が燃えてなくなり、次に足はじゅうじゅうと音を立てながら真っ赤に爛れて、黒い斑点ができた。呆然とみていると、いつの間にか肉は熔けてなくなり、骨だけになって、ばさっ、と落下した。夕闇の中で火はひときわ明るくて、僕も三島のように何かの啓示を受けられるかとも思ったけれども、結局ほとんど無感情にただ眺めることしか出来なかった。その後は普通に夕飯を食べることができたし、それから普通に寝ることができた。そうできてしまったこと自体に、すこし罪悪感を感じた。

とにかくバラナシはとんでもない街だった。死者も、生者も、その糞尿も、イカサマ師も、乞食も、リクシャーも、野良犬も、野良豚も、野良牛も、その糞尿も、正体不明の塵と汚水も、全てのものが飽和していた。その横を巨大なガンジス河が音もなく流れている。不浄の地とされる対岸は、全く何も存在しない砂地だ。ヒンドゥー教を知らない者としては、そちらが神聖な清浄の土地に見えてしまうが、そうではないらしい。

こうして一日経って文章を書いているうちに、なんだか次第に大泣きしたいような気持ちになってきた。月並みな旅行者の感想なのはわかっているけれども、後になってじわじわと骨に染みわたる光景だった。

 

ヒンドゥーの聖地バラナシの次に訪れたのは、仏教の聖地ブッダガヤーブッダ菩提樹の下で悟りを開いた場所。ブッダガヤーは小さな村だが、アジア各地の仏教寺が集結していて、見比べるのが面白い。悟りを開いたまさにその場所で熱心に祈りを捧げているのはミャンマー人や日本人といった外国人も多く、インド文化の中心のひとつでありながら、逆説的にも少しインド離れしている。静かだった。

村は(これまでに比べれば)とても綺麗で、歩きやすい。それに夜行列車の親切なインド人、それにバラナシのイカサマ師等にまみえまくって次第にインドに慣れてきたので、通りすがりの人と軽く挨拶を交わすことができるくらいにはなった。ペースに慣れてしまえば、街歩きは一気に楽しくなる。わからないことは気兼ねなく聞く。困っている人は助ける。嫌なことははっきりノーという。鉄道はどうせ時間どおりには来ない、チャイでも飲んで駅でだらだらしよう。多少のゴミは道端に棄ててしまえ。

きっとうまくいく。