色とりどりの棒

いろいろな棒と思考の記録帳

石拾い

学生最後の一日。小雨、微妙に寒く、かといって凍えるほどではない。今日は暗いし、僕の部屋はそもそも朝の光が届きにくく、また寝坊した。

新生活、に向けて準備することは多くなかった。そしてどれも3月前半までには終わってしまった。引っ越しもないし、役所に届けるべきことも済んだ。卒業式も旅行お別れ会もすでに過去になり、最後の日は特に何もない日だ。新生活、とはかけ離れた普通の一日。

新生活、といってやたら発破をかけてくるのはちょっと商業戦略っぽいにおいがして、このことばを使って清々しい気分になったりするのはなんか悔しい。頼んでもいないのに「新生活応援グッズ」の広告がどんどん来て、人の生活を勝手に新しくするなーー!!などとその度に家でわめいている。あほだ。これからの生活を果たしてどれだけ新しいものと感じることができるのか、やってみないとわからない。楽しみ。

何かを書きたいのに、驚くほど内容を思いつかない。

だらだら雑誌を読んでいたら、青森県に石拾いの聖地みたいな海岸があるという記事があった。まあ聖地といっても別に聖地ではなく、奇石がたくさん落ちているとかというわけでもないらしい。特別なものは何もない。石拾いでは、自分がいいと思える石を拾えさえすれば、それだけで価値になる。特に目立った石や珍しい石でなくても、それをなんか良いなと思って持って帰れるくらいの大らかさが、ここでは大切なのだ。自分はなぜか、うずらの卵みたいなやつが昔から好き。

僕にとっての石拾いの聖地は、幼い頃からよく行った小田原の海岸だ。住宅地を抜けて、西湘バイパスをくぐって、がらんとした海岸に出る。海は別に綺麗でもないし汚くもない。うずらの卵石を拾ったり、海に投げたり、それからつげ義春の『無能の人』を少し思い出したりして、苦笑いする。無能の人は石ころに石ころ以上の価値を見いだそうとしたから失敗したのである。あほだ。本当に無能だよなぁと考えながら家に帰る。そんな日が少しあれば、何が大丈夫なんだかわからないけれど、とにかくこの先も大丈夫だと思う。

何もない日、石を拾いたくなる日。小雨、微妙に寒く、かといって凍えるほどではない。新生活、が。