中国横断旅① (北京~敦煌)
最近は記事を書きたいという気持ちにならなかったのではてなを放置していたのだけど、せっかくアカウントがあるので、旅行の写真記録として活用しようと思う。
この夏に中国を横断する一人旅をした。シルクロードだ。
高校生のとき世界史の面白さにはまり、そのときになんといっても楽しかったのが中央アジア世界だった。例えば、難しい漢字ばかりの古代中国史を勉強していて突然ローマ風の名前が登場したり、古代インドの仏像の顔がギリシアの雰囲気だったり、奈良にはペルシャの宝物があったりする。広大すぎる中央アジア世界だが、いろいろなところに東西の接点を読み取ることができる。そういうの憧れるね…………というわけでいつか実際に訪れてみたいと、昔から思っていた。
日程、航空券のお値段、難易度などを考え、今回は中国の新疆ウイグル自治区を目指すことにした*1
そして、シルクロードやオアシス都市をしっかり体感するには、飛行機を使わずひたすら砂漠を走り抜いて到達した方がいいと思う。首都北京から夜行列車だけで中国西端のカシュガルまで移動してみることにした。全部で5000kmの大移動だ。
というわけで、こういう行程で行った。
8月8日 0日目:勤務終わり次第移動開始→20:05 羽田空港→ソウル 仁川空港 (空港雑魚寝)
8月9日 1日目:8:35 金浦空港→北京首都国際空港、北京市内散歩、20:45 北京西站発→快速列車K41次 敦煌行に乗車 (列車泊)
8月10日 2日目:K41次車内で過ごす (列車泊)
8月11日 3日目:8:11 敦煌站到着、敦煌郊外観光 (敦煌ホテル泊)
8月12日 4日目:敦煌市内散歩→18:00敦煌火車站→路線バス→柳園、23:08 柳園站発→特快列車T197次 ウルムチ行に乗車 (列車泊)
8月13日 5日目:8:29 ウルムチ站到着、ウルムチ市内散歩、23:07 ウルムチ站発→快速列車K9786次 カシュガル行に乗車 (列車泊)
8月14日 6日目:20:00 カシュガル站到着 (カシュガルホテル泊)
8月15日 7日目:カシュガル市内散歩 (カシュガルホテル泊)
8月16日 8日目:カシュガル市内散歩→23:00頃空港へ
8月17日 9日目:1:30 カシュガル空港→北京空港→13:40 ソウル 仁川空港、ソウル市内で飲酒、22:35 仁川空港
8月18日 10日目?:0:55 羽田空港
計11日間の行程で3泊しか宿に泊まっていないのは一人旅でないとなかなかできない。ただ、中国の夜行列車は快適だし、捨てがたい旅情がたっぷりなので是非活用してみてください。
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~0日目~ 日本出発
アシアナ航空が遅れ、お詫びの1000円券をくれたおかげで羽田空港でタダ酒を飲むことができた。
なかなか飛行機が来ないので読書した。読書していたら飛行機が来たので乗った。深夜に仁川空港に着き、雑魚寝した。空港内には簡易ホテルもあったが大行列だった。
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~1日目~ ソウル、北京、夜行列車
仁川空港のATMでキャッシングがうまくいかず、空港間移動の切符が買えなくて焦ったがまあなんとかなった。眠かったのだが気づいたら北京に着いた。
夜行列車まで時間があるので北京を散歩したり食料の買い出しをしたりした。有名な天安門は意外にも無料で入ることができる*2。
行きたかった王府井小吃街は工事中で閉鎖していた。残念。小籠包はかわいい。
地下鉄前門站の全聚徳本店は北京ダックの超有名店でいつも混んでいるのだが、とにかく信じられない美味しさなので、北京に来るたびに行ってしまう。ランチセットで200元くらいだったと思う(忘れた)。
路地裏は楽しい。
昼ごはんを2回食べたり、公園でぼけっとしたりしているうちに夕方になったので、いよいよ移動を開始する。西域へ向け、まずは北京西站へ地下鉄で向かう。
北京西站に来た。めちゃくちゃでかい。中国の長距離鉄道駅は日本と全く仕組みが違い、券売所、出発口、到着口が全て分かれている。空港のように、どんなに遅くとも出発の1時間前には駅に着いていたい。
荘厳な駅だ。何番線まであるのだろうか。
出発案内に、これから乗車する K41次 敦煌行が表示されている。指示通り、2階第4待合室で出発を待つ。
やっぱり待合室でじっと待ってはいられなかったので駅の食堂に来た。なんと蘭州牛肉麺があった。蘭州牛肉麺は中国で大ブームになったようだ。美味しい。
少し遅れ、いよいよ出発時間。改札口へ向かう、人ごみ、喧噪、押しあいへしあいのチャイナパワーに敗北した。
なんとか改札戦争が終わりホームに移動すると、これから2泊3日乗車する車両が見える。距離2586km、所要時間36時間21分の長旅だ。興奮ではち切れそうだった。
中国の一般列車には、硬座(2等座席)、軟座(1等座席)、硬臥(2等寝台)、軟臥(1等寝台)の4種類がある。今回は硬臥中段にした。敦煌まで480元。
布団は清潔で、「硬臥」というほどベッドは硬くないし、問題なく寝られる。ただし、カーテンがないのでプライバシーは日本より薄い。
せっかくなのでビールを飲みまくった(3本で足りなかったので車内販売のビールも買った)。
そういうわけで長い1日目が終わったので寝た。
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~2日目~ 敦煌行の列車にて
この日は敦煌に向けて列車に乗るだけの日だ。日中、内モンゴル自治区のフフホト、包頭、銀川などを通る。
昨晩は飲みすぎたが、起きたら二日酔いではなくて安心した。
ところで僕のいた6人のコンパートメントは満席だった。もちろんみな中国人で、お互いに談笑している中、自分だけが中国語を解さず、明らかに浮いている。会話に混じれないので少しふさぎ込んで寝ていたのだが、実は中国人たちの一人は、英語を話す人だった。彼は僕と同い年くらいで、北京の工科大学に通う学生らしい。彼の通訳と紹介で、僕は皆に簡単な自己紹介をした。
彼は、いわゆるオタクだった。少しぽっちゃりで、ひたすらニンテンドーswitchで遊んでいた。そこで僕も彼と対戦した。互いに大した英語力もないが、盛り上がって冗談のようなことも言った。そのうち、英語で大騒ぎする僕らを怪訝がって、隣のコンパートメントの乗客や車掌さんまで様子を見に来るようになった。
オタクはそのたびに中国語で僕を紹介してくれた。彼の紹介で、車掌さんと仲良くなった。車掌さんも僕らと同い年の女性で、美人だった。翻訳してくれるオタクと合わせて3人の奇妙なサークルが出来上がった。
車窓はひたすら草原の景色だ。
同じコンパートメントにいた聡明な小学生と筆談した。漢字がわかれば、筆談ならある程度はわかる(??)。
夕方、銀川を過ぎると、次第に乾燥した不毛の景色に変わる。
オタクは銀川で降りてしまった。これまでの会話はほぼ全て彼の翻訳で成り立っていたので、僕はそのことに対し不安になった。彼は最後に握手を交わし、「いつか銀川にも来るといい。銀川に来るときはマスクを忘れないように。」と謎めいた別れの挨拶をした。寂しかった。彼はswitchばかりやっていたが、switchは僕の方が断然強かった。なぜか今でもそのことが忘れられない。
そして、いよいよ砂漠に足を踏み入れる頃には、この列車は2回目の夜を迎える。
またビールを飲む。ビールはいつでも飲む。暗くて何もわからないが、どうやら列車はもう砂漠の真ん中を走っているようだ。22時ごろ、さっきの車掌さんが通りかかって、ものすごく下手な発音で「スリープ!」と言った。だから寝た。
3日目に続きます。