中国横断旅② (敦煌)
夜行列車は2日目の真夜中も淡々と進む。相変わらず真っ暗で何もわからないが、地図の位置情報は武威、張掖、嘉峪関……漢詩に登場する西域の地名を通過してゆく。
[...]君に勧む更に尽くせ 一杯の酒
西のかた陽関を出ずれば 故人無からん
という王維の詩の一節がある。西域へ旅立つ友を送るとき、陽関を過ぎるといよいよ知り合いのいない砂漠なので、ここで酒飲んでお別れしような、というわけだ。そんな気分で飲む酒はどんな味だろうか。
そもそも僕は羽田空港を出た時点で既に誰も知り合いがいないのだけど。
3日目に目覚めるとちょうど朝焼けだった。車窓は、地平線まで続く平らな砂漠に、無数の風力発電装置が屹立している風景だった。ひたすら規則正しく並ぶ風力発電のエリアを淡々と抜けてゆくと、いよいよ風景が無になる。
さて、いよいよ到着が近くなった。昨日仲良くなった車掌さんが、最後に連絡先を交換しようと言ってくれた。僕はwechat(中国ではLINEやfacebookは使えない)を持っていなかなったので、まずダウンロードしなければならなかった。しかし列車は電波が全然ない場所を走行中だ。そういうわけで、車掌さんとのお友達計画は、運悪く砂漠の真ん中に湧いてしまって涸れた小川のように、あっさり終了した。
敦煌に着いた。
敦煌駅は立派だが町外れにあり、一部のタクシー勧誘を除けばかなり落ち着いている。そしてなんといっても、空気感が砂っぽい。
情報があまりなかったのだが、とりあえず駅前にいた中心地に行きそうなバスに飛び乗った。バスが出発すると程なく、世界遺産の敦煌莫高窟の観光施設を通過していることに気づいたので、すぐに飛び降りた。
敦煌莫高窟の観光は、「莫高窟数字展示中心」なる観光センターにまず行かないといけない。そこで料金(確か4000円くらいした)を払うと、まず莫高窟の歴史などを解説する短編映画やプラネタリウムのような全天球画像を見せられる。この映画が、大河ドラマか!という壮大なクオリティで見応え十分だ。音声はイヤホンで、日本語も対応している。
壮大な事前学習が終わると、いよいよ莫高窟に移動だ。無料の送迎バスが頻繁に出ており、それに乗って砂漠の一本道を移動する。莫高窟に着くと、自分が日本人であることを係の人に伝える。すると、日本人(5人くらいいた)の集合場所を指示され、そこからは日本語のガイドさんがついて案内してくれる。*1
莫高窟は、崖に無数に開削してある横穴に、唐代、宋代、西夏王朝時代など様々な時代の仏像が鎮座している遺跡だ。仏像はそれぞれの時代で様式や美的価値観が異なるので、真面目に説明を聞いていれば次第に仏像を見るだけでいつの時代の作品なのか判るようになる。
莫高窟見学の日本語ツアーが終わった後も、今度は併設の博物館や美術館などが待ち構えており、全部を真面目に観ているとそれだけで丸一日かかってしまうだろう。
観光センターからまた郊外路線バスに乗ったところ、今度は中心街には近づいたのだが川沿いの変な場所で終点になってしまった。仕方ないのでそこからまた市内バスに乗り継いだところ、今度こそ予めとってあったホテルに着いた。
中国西部に位置する敦煌では、21時くらいにやっと夕暮れとなる。夕暮れになれば、町の中心部にある「敦煌夜市」に行かなくてはならない。
土産物屋、フルーツ屋、そして露店の酒場がずらっと並び、あたりは内陸らしい熱気と羊肉を焼く香りがたちこめている。こうなると、もうビールをできる限りたくさん飲まなくてはならないのだ。
0時くらいまでは露店で飲んでいられる。
~4日目~ 砂漠登山、体調の悪化、新疆へ
明くる朝、昨日はどうやってホテルに戻ったのかあまりよく覚えていない有り様だったが、とりあえず無事に戻っていたからまあよかった。
敦煌を発つ前に、絶対に行きたかった場所がある。市内バスで行ける砂漠、月牙泉・鳴沙山だ。敦煌のオアシスの端、砂漠の景色を気軽に体感することができる場所だ。
党河橋あたりのバス停で待っていると「鳴沙山」行の市内バスが来るので、それに乗って終点で降りればよい。*2
僕は自分のイメージを「砂漠」にすべく日々努力しているレベル(?)で砂漠に憧れているので、鳴沙山が近づいてきたときには大人げなく興奮してしまった。
さて、いよいよ砂山の頂上を目指して登山を始めた。ただの大きな砂の塊なので、もちろん決まった登山道はない。とりあえず挑戦してみたところ、これが思った以上に大変だ。砂は粒が細かく極度に乾燥して熱い。火傷してしまいそうだし、脚を取られて3歩進んで2.5歩下がる始末だ。ゴールは最初から目の前に見えているのに、結局登頂に1時間くらいかかった。
やっと登頂して、市内で買ってあったコーラを飲んだ。人生で一番おいしいコーラだった。
Deuterの大型リュックはおすすめです。屈強なのに背負いやすいので。
だが、砂漠に来て問題も発生した。僕は東京にいても黄砂で気管支をやられ、いつも体調を崩している。そしてここは黄砂の故郷だ。僕は宿敵・黄砂の塊に喜んで登っていた。体調を崩さない理由はない。咽喉痛、鼻づまり、倦怠感、熱、ありとあらゆる「黄砂的」症状を発症してしまった。市内の薬局に行くと、養命酒のようなものを勧められたから買ってみた。(これが後で災難を引き起こす…)
敦煌火車站(バスターミナル)に戻った。ここから約130km離れた柳園というところまでバスで移動し、また夜行列車に乗る。朦朧とした意識で窓口で切符を買うと、「敦煌-柳園 豪華座席」と書かれた切符を渡された。ターミナルには大きな観光バスのような車両が待機しているので「豪華座席」に期待したのだが……柳園行だけはなぜかぼろいハイエースのようなミニバンだった。
仕方ない。覚悟を決めて乗り込むと、バスはまた砂漠の中を淡々と走る。しばらくすると、道が未舗装(というかただの砂)になる。豪華座席は未舗装路を猛スピードで駆け抜ける。体調は最悪。瀕死だった。手持ち無沙汰でこっそり薬草酒を飲んだらさらに悪化した。
なんとか気を紛らわせているうちに柳園駅に着いた。柳園は小さな町だ。
さて、ここからいよいよ新疆ウイグル自治区に向かう列車に乗車する。新疆*3は民族問題を抱えた土地なので、そこへ向かう列車の警備もひときわ厳しい。
柳園駅の荷物検査場で、僕が新疆へ向かう外国人であることがわかると、鉄道公安の「服務室」へ連行されてしまった。盾やらさすまたやらが置いてあるいかつい部屋だ。そこで、新疆に入る目的、滞在期間などを聞かれるのだが、残念ながら僕はそれに回答するだけの中国語力がないし、公安はそれを質問するだけの英語力がない。もはや行き詰まった感じになったところで、まあいっか、という空気でリュックの中を取り出して荷物検査が始まった。
そこで問題になったのが、さっき買った薬草酒だ。
公安「ノーポイズン??」
僕「まさか~。」公安「ポイズンじゃないなら、えーと、えーと、ここでhēしてみろ」「hē?????? えーとどういう意味だ………???」「ホワット?!?!?! お前 hē できないのか!!!!!!! やっぱりポイズンじゃないのか!!!!!!」「あ、もしかしてhē ってDrinkって意味か!!!!!!!」「そうだよ!!!!!!(怒) はよ hē しろ!!!!!!!」
というわけで僕はhēが「飲む」という意味だとわからなかった為に公安に怒られてしまった(「飲む」は yǐn 饮 しか知らなかった)……そして、薬草酒がテロに使われる毒でないことを証明するために、飲酒シーンを披露することになった。
減ってなくない?!?!?!などと疑われ、これではもはや質の悪い飲みサーの先輩だ。度数の高い酒を結構な量を一気飲みする羽目になり回ってしまった。全く恥である。この先セキュリティチェックの度に飲みサーごっこするのかと思うとうんざりした。
23時08分、定刻通りウルムチ行の列車が来た。はるか鄭州からやってきた2泊3日の夜行列車だ。新疆へ向けて、真っ直ぐの線路をまた淡々と進んでゆく。