色とりどりの棒

わかりたい

中国横断旅④ (カシュガル~旅の終了)

~6日目~ カシュガル

 

昨晩にウルムチを出発した列車は、トルファン、クチャ、アクスといったオアシス都市に停車しながら、(少なくとも列車で到達できる)中国最西端の都市、カシュガルに向かう。南西に向かって進む列車の車窓は、左側はタクラマカン砂漠の真っ平な大地、右側は天山山脈に連なる荒涼とした山々が広がる。

しかし、天山山脈の雪解け水が地下水となるのか、これまでに比べれば少しだけ緑の気配がある。

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「右側」の景色 ほんの少し緑の気配がある

それにしてももう、かれこれ4泊分を寝台列車で過ごしている。車窓は2日目の午前中以降ほぼずっと不毛の地だが、飽きることはない。どんなに同じ景色が続いても、どこかに向かって進んでいる。ちゃんと進んではいるという実感があれば、退屈ではないものだ。

 

20時05分、遂に列車は定刻でカシュガル駅に着いた。北京から67時間、思い返せば本当に長かった。

自慢ではないが、平均的な企業の1週間の定時労働時間は35時間。その倍に迫る乗車をしたことになる。ゆっくりと列車が停車したとき、大きなため息が出た。一緒に旅をしたおばさんに笑われた。

 

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カシュガル

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カシュガル駅 駅舎

 

20時を過ぎているというのに、まだ夕暮れになる気配さえない。カシュガル駅は、駅前に緑の広がる広場がある。なんとなく日本のような瑞々しさはないが、それでも火星のような風景を嫌というほど見てきた列車の乗客には嬉しい色彩だ。

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駅前広場

バスで市内へ向かう。ウルムチと違い、乗客はほとんどウイグル人だ。本当に言葉が通じない。とりあえずそれっぽい系統の路線に乗ってみたところ、ちゃんと市内に着いた。

 

 

~6日目夜 7日目 8日目~ カシュガルにて

 

カシュガルという街については、自分はそれを形容する語彙を持ち合わせていない。

建築、路地、大気の香り、生活、風俗、衣装、子供、そしてここが「中華人民共和国」の支配下にあるという緊張感さえも、その全てを包括して、筆舌に尽くしがたい美しさだったからだ。

あまりに美しかった。自分はかつてこんなに美しい街を見たことはなかった。穏やかで、それでも活気に溢れ、緑豊かで、古いものは丁寧に大切にされていた。22時、ホテルに荷物を置き、興奮気味に街に繰り出す。やっと夕暮れだ。

 

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夕闇の旧市街

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露天酒場

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露天酒場

カシュガルが美しい都市?それは旅行者=部外者でないと抱かない感想かも知れない。新疆の不都合な真実は、収容施設の過酷な実情を直視しなければわからない、と言われてしまったら、確かに反論はできない。ではこれは間違った感情なのか?僕は政府が造った見せかけの平和を提示され、まんまと喜んでいるのか?もしそうだとして、それはどのように間違っているのか?今日到着したばかりの部外者が、それを語ること自体が横柄ではないのか?

 

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夜更けの路地裏

 

大層なことを言いたいわけではないが、一体旅とは何なのだろうかということまで考えてしまう。カシュガルは一生忘れない街だと思う。

 

7日目・8日目は、歴史的建造物やバザールを巡ったり、茶館に行ってウイグル舞踊を見たり、太鼓を買いに楽器屋に行ったりした。

その全ての記憶が、散歩に適した気温と日差し、からっとして気持ちのよい湿度、言葉はわからないが親切で穏やかな人々*1と共に思い起こされる。

 

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静かな表通り

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路地裏

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路地裏

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玄関(勝手に撮ってごめんなさい…)

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標識 いい書体だった

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壺やさん(?)

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楽器やさん

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楽器やさん

カシュガルを歩いていると、子供が至るところで遊んでいる。日暮れが遅いので、23時くらいでも平気で5歳くらいの小さな子が遊んでいたりする。中国沿岸部から来た観光客は酔っぱらっていい気分になっている時分なので、すっかり出来上がった彼/彼女らの横で子供が遊んでいるのは少しひやひやする風景だ。

ところで、この街にウイグル語はおろか中国語も覚束ない外国人は稀なようだ。僕が路地裏を歩いていると、わんぱくな男の子が「自分の持っているカメラと君のを交換しよう」と話しかけてきた。

見てみると、プラスチックのおもちゃじゃん。絶対お断りだわ、と言いたかったが、わからなかったのでとりあえず「不是‼‼」といっておいた。あとはひたすら鬼ごっこで遊ぶ。

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このカメラと交換はできないかな

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撮られた(?)

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わらわら集まってきた 集合写真

この写真を撮った瞬間が、あの夏休みで一番幸せだったと思う。

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踊る子供たち

 

ちなみにウイグルでは、女の子も小さな頃は坊主刈りにすると、その後よい髪が生えてくると信じられているようだ。

 

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モニュメントに登ってしまう子供



旧市街には百年老茶館という有名なウイグル風喫茶店がある。観光客は多めだが、美しい絨毯に胡坐をかいて現地の様々なお茶を楽しむことができる。そして15分ほどすれば、どこからともなく歌と踊りが自然発生する。軽快な太鼓のリズム、中東風の旋律を聴けば、おおよそここが中国だとは信じられなくなるだろう。

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百年老茶館

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砂糖

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アパク・ホージャ墓

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アパク・ホージャ墓

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中央アジアの唐草模様

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唐草ではないけどこれも綺麗

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廃屋 「毛沢東」の漢字を練習した痕が…

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なんだこれ

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丸2日以上、特に郊外の見どころに出かけることもなく、ひたすらカシュガル市内を散策し続けた。もう旧市街の全ての路地を歩き尽くしたかもしれない。2日目には外国の初めての街にいる緊張感も薄れ、安心からくる疲れに襲われた頃には、深夜1時のフライトがあと6時間ほどに迫っている。余裕を持って行動すれば、この街にいることができるのはあと2時間程度だった。

最後に、モスク前の広場でまどろむ。友達同士は語り合い、子供は親にせがんでラクダに乗せてもらい、バスは相変わらず規則正しく運行されているのに、自分だけが明日の夜中には直線距離で何千キロも離れた日本にいるということが、にわかには信じられない。

もう忘れてしまったが、このまま帰りたくない、と少し思ったような気がする。

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最後の夕暮れ

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カシュガル空港

バスに乗って空港に着いた。近代的な、どこにでもある空港だった。それから、見慣れた中国国際航空の機体に乗り込んだ。

 

~9日目~ 帰路 ソウル

 

夜中1時、飛行機はまず北京に向かって6時間飛んで、そこからソウルまで1時間半飛んだ。夜中なのに機内食の配膳で起こされてちょっと参った。

 

ソウルは単なるトランジットで寄っただけだが、韓国料理が食べたかったので、昼に着いて、夜に出発することにした。ソウル駅の隣、南大門市場界隈に向かう。

両国には嫌韓反日といって韓国と日本の違いをやたら喧伝する方々も多いが、地下鉄は日本語のアナウンスがあるし、空気感、街並み、言葉の雰囲気、どれをとっても昨日まで新疆にいた身からしたらほぼ日本に帰って来たような気分だ。

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タコチゲと酒 うまそうである…

実に10日ぶりに海産物を食べた。

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南大門市場 新宿の思い出横丁に似てる気がする

ソウルでは、気が抜けたからか正直ものすごく酔ってしまった。南大門市場の風景はあまりに新宿の思い出横丁に似ていて、朦朧とした意識で新宿駅を真面目に探してしまった。新宿駅から僕の家は50分だ。あと50分で帰宅だと思ったのに、実はここから空港に行って、出国審査を受け、飛行機に乗って、今度は入国審査を受け、夜中の羽田空港から帰らないといけなかった。

そのことに思い当たった時、あまりの面倒さは、一時その場にしゃがみこんでしまったほどだった。

 

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ソウル駅前

ソウル駅前のペデストリアンデッキには露天のストリートピアノがある。なぜか僕はアルベルト・ヒナステラソナタを演奏してみた。ヒナステラはアルゼンチンの作曲家だ。新疆とも、ソウルとも、東京とも、特に関係がなかった。酔っ払っていて、物凄く下手だった。

 

あとはプライムビデオを観たり、ぐーぐー寝たりして東京に帰った。羽田空港では親が車で迎えに来てくれた。

 

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お土産を配ったり、友達に旅行自慢をしているうちはまだ記憶が鮮明だった。しかし今、早くも過去の想い出になりつつある。2020年3月、世界はコロナウイルスで大変なことになった。とてもじゃないけど、中国渡航はできそうにない。敦煌への列車で知り合ったswitchが弱いオタクや車掌さん、カシュガルの子供たちはどうしているだろうか。

彼ら/彼女らは、数年後、仮に偶然また会うことがあっても、自分を覚えていることはほぼないだろう。しかし逆に、自分は覚えている。もしかすると一生覚えているかも知れない。よくわからないけど、その非対称性こそに旅の姿がある気もする。

 

 

 

 

*1:この街は公安もウイグル系が多く、少なくとも表面上は市民と馴染んでいる。握手し、談笑している。