色とりどりの棒

わかりたい

わかり砂漠©が増えてゆく話

卒論がやばいという話。10月頭におおまかなスケジュールをたててみたものの、既に追いついていない。冷静に、まずいかもしれない。

今は卒論のテーマでもある、「説明ギャップ」の進化形(?)である「概念ギャップ」の批判論文を読み進めているという段階だ。僕もこの立場を擁護していきたいと思っていて、最良の説明、同一性、相関テーゼ、といった言葉をもっとずっと勉強しなくてはいけなくなっている。

いや実は、一時は早くもこれでもう書ける!という段階にきたとさえ思われた。そんなふうに油断してたのは3年秋のころだったかな。まだ今よりももっと無知で、そのことが逆に向かうところ敵なしくらいに思う原因になっていた。思えば馬鹿みたいな話だ。

でもいろんなものを読めば読むほど、結局その内容に文句をつけたくなったり、あるいはその根拠になる議論を知らないといけなくなったり、何かが解決するどころかどんどん課題が増えてゆく。今まで発見できていなかった土地に、文献を読むことで広大なわかり砂漠が広がっていることを発見してゆくというイメージ(「わかり砂漠」はテクニカルタームだよ)。とにかく向かうところ敵だらけじゃないかと、後れ馳せながら気づいてしまった。参ったなぁ。

そしてまた卒論の中でも、やはり自分の立場、それに対する仮想反論、さらにそれに対する再反論、というように重層化してゆかないと説得力のあるものは書けないはず(せっかくだから適当なもので済ませたくはないし)。でもこの自分で自分に反論するという作業は難しくて、なぜなら自分の主張を読んだ人がある程度「思いつきそうな」ものでないと仮想反論としては効果が薄いだろうからだ。つまり、仮想反論はある程度「一般的な」ものでないといけない。こういう風に、それまでの議論の流れなどを鑑みつつ、突っ込まれがちなポイントを自分で見つけだして反論を書くというのはけっこう至難の業な気がするんだけど、みなさんはどうなんでしょうか……??参ったなぁ。

ところで夏休みに、黒島という沖縄県八重山諸島の小さな島で、

「本読めば 知りたいことが よく知れる」

という小学生の川柳(?)を見つけて大爆笑したことがあった。しかしこの時期になって、実態は俳句と真逆だということに気づく。本で知りたいことがよく知れるのは確かだが、それ以上のペースで知るべきことが山積してゆくという感覚がある。僕はあえて、「本読めば わかり砂漠が 増えてゆく」とでも詠みたいと思いますね。いや、あほなこといってる場合じゃない。まじで何もわからん。ついでにいえば今練習しているドヴォルザーク9番のスケルツォのリズムとか、そういうのもわからん。やれやれ、結局何が言いたいのかさえわからなくなってきてしまった。参ったなぁ。

仕方ないから泡盛でも飲みます。個人的に泡盛にはメンデルスゾーンという感じがする。