色とりどりの棒

わかりたい

アルプス越えの旅⑥ (旅の終わり)

土砂降りのミラノを出立した夜行列車は深夜のうちにオーストリア国境を越えており、ザルツブルク州付近の山間部を走行中に目が覚めた。早起きするつもりが、随分よく寝てしまったようだ。雨は止んでいたが低い雲と霧がかかってどんよりした天気。サービスの朝食を摂った後、流れる車窓をなんとなく眺めながら、あと数時間の旅路は二度寝でもしようかと思う。しかし他のどのクシェットでも、大人も子供もきちんと姿勢を正し座って到着を待っていたので、なんとなく気が引けて二度寝はやめにした。

オーストリア領内の車窓

München Haupt Bahnhofに到着したÖBB NightJet

そんなこんなで10時10分、ほぼ定刻で無事ミュンヘンに到着した。

 

再びのドイツ

到着後は、まだ午前中だったがラーツケラーミュンヘンに再訪し、無事にドイツに帰ってきたことをささやかに祝った(ささやかとはいえ、もちろんEin großes Bierとともに)。

なお、この記事を作っている中で知ったのだが、ラーツケラーミュンヘンはその後、2025年末に閉業してしまったそうだ。ここは、新婚旅行の始まりに、冷たい雨の降るミュンヘンに興奮しながら着いてまずビールを飲んだ、思い出の居酒屋でもあった。短い期間にたった二度しか訪れていないわけだが、私達にはそれ以上の深い思い入れがある場所であり、閉業を知った時しばらくは言葉に詰まってしまった。

午前中でまだ客もまばらなラーツケラー ミュンヘン。既に過去のものになってしまった。

 

そして最後のユーレールパスを使って、帰国便が出発するフランクフルトに移動した。ヨーロッパから離れるのはもちろん名残惜しかったが、早くもアジアの食事が恋しいとなって、結局ドイツ滞在中最後の夕飯ではフランクフルト市内の蘭州牛肉麺の店に行った。牛肉麺はほっとする味だった。しかし夜のフランクフルトの治安の悪さには辟易した。フーリガン、明らかにラリってかなりヤバそうではあるが仲良くできそうな奴、相容れなそうな奴、割れた酒瓶、得体の知れない残骸。

 

街の光、旅の終了

フランクフルト発ハノイ行のベトナム航空VN36便。しばらく夕暮れの空を飛ぶ航空機の窓に私は張りついていたが、何時間経っても眼下の厚い雲が切れないので仕方なく読書や映画を眺めることに転じた。

離陸から何時間経ったのだろうか、消灯しもう機内の誰もが寝静まった頃、ふと目が覚めると現在航空機はトルクメニスタン上空を通過しているらしい。虚ろな目で外を見ると、いつの間にか雲ひとつない夜空である。そして下方10キロメートルには、ガス田なのだろうか、煙突からゆらめくたくさんの炎と、その奥にはほのかだが、確実に大都市のものであろう街の光が見えた。

あの光は恐らく、トルクメニスタンの首都、アシガバードのものだ。

確かに私は今、アシガバードからわずか十数キロの地点を通過したのだ、しかし今後、私はトルクメニスタンという異国の首都であるアシカバード市内に立つことはあるのだろうか?恐らく可能性は低いだろう。そう思うと、人生の中で経験できる旅が、いかに限られたものか。地球のほんの一部分を見聞してから、一生はあっさり終わってしまう。それは仕方のないことだ。そんなことを考えながら再び眠った。

 

やがて明け方になり、ハノイでのトランジット後、東京には午後に着陸した。羽田空港では我々の共通の友人が迎えに来てくれていた。友人と妻と私の3人で、京急に乗って横浜・野毛の居酒屋に流れこみ、刺身と日本酒で打ち上げを実施してから、帰宅した。

 

出発前にやや散らかっていた家の中は、当然のように何も変わらず散らかっており、それは安心する光景だった。

そして帰国から半年以上経ち、この文章を書いている今、我々の家の玄関には、ユングフラウヨッホで買った土産物のマグネット式スノードームが貼りついている。スノードームはあと何十年か、私たちの玄関に貼りついているのかも知れない。マグネットは半永久的な力を持っているからだ。

 

 

 

アルプス越えの旅⑤ (イタリア・ミラノ)

ルガーノからイタリア国境を越え約1時間半、ミラノ中央駅(Milano Centrale)へ到着した。ミラノ中央駅は典型的なヨーロッパの巨大駅で、大きなドーム型の駅舎に終端式のホームがたくさん並んでいる。これはフランクフルトやミュンヘンと同じだ。

しかし、これまでとは何かが違う。例えば。

・駅に到着しまたは出発する誰もが、それぞれ何かしら発声していて、それがドームにこだまして混ざり合い、広大な空間に「声の塊」が形成されていた。

・有料トイレの入口には、クレジットカード決済ができる改札のような設備があるのだが、何度試しても突破できない。トイレ掃除の老人がイタリア語で歌うようにずっと何かを話しているのは、多分改札を通る方法を教えてくれているのだろうが、日本人の私はもちろん、ドイツ方面から到着した乗客はイタリア語が分からないと見えて、遂に誰ひとりとしてその改札を突破できていなかった。皆の膀胱が心配。

・駅の正面ホールには古代ローマ風のどでかいモニュメントが彫られていて、ちょっとやりすぎなレベルで荘厳だった。

・地下鉄の切符の買い方がなかなか理解できなかった。隣の券売機で試したらすぐに買うことができたのだが、結局はじめの機械が壊れているせいだったのかはよくわからなかった。

・地下鉄の車内放送が日本並に多く、一駅毎に出口が右か左かを案内していた。なお、ドイツは到着前に駅名を一言読み上げるだけだった。(私は、出口が右か左かはたいていの場合は分かるし、放送するならそれより大事な情報があると思っている)

 

これらは、これまでのドイツやスイスの旅ではあまり印象のない体験だと感じた。こういった全く本質的でない部分で、私はアルプスを越えた喜びに改めて浸った。

ミラノ中央駅

 

ミラノ

城壁をぐるっと回りこんでポルタ・ジェノバ地区に来た。夕暮れ、美しい水路を眺めながらロマンチックに夕食を楽しんでいると、飲酒し滅茶苦茶に浮かれて大騒ぎしている観光客を満載したボートが時折水路を往来した。彼らが東京に来たら、十中八九、マリオカートを模したゴーカートにコスプレで乗車し、渋谷スクランブル交差点を往来するのだろう。結局そういう人は世界どこに行ってもそんな感じなのだ(多分)。食事はさっぱりしていてとても美味しかった。〆に食べたジェラートが最高だった。

観光客で賑わうポルタ・ジェノバ

夜のトラム停留所

 

翌日はミラノ市電を乗り回して、ドゥオーモや絵画館などを巡った。ミラノ市電は1500系という戦間期製の車両が現在も主力であり、市内に吊掛式モーター特有のうなりを響かせながら市内を闊歩している。天気もよいし、そんな風景を眺めながらの散歩は爽快だ。しかし、地図では市内のほんの一部分に見えた移動が、実際に歩いてみるとかなり距離があって面食らったりもする。ミラノは大きな都市なのだ。

1500系、98年前の車両

街角の噴水

なんでもない午後の路地

 

夜行列車

夕方。ポルタ・ガリバルディ地区で少し早めの夕食をとってから、ミラノ中央駅付近に預けたロッカーの荷物を取得し、そのまま21時28分発、ミュンヘン行き国際夜行列車に乗る予定だ。

夕食では、イワシの刺身にラズベリーソースをかけたものなど、およそ日本食からは思いつかないような料理等を味わうことができた。
…のだが、ここで問題発生。食事とワインを堪能して会計をしようと店員を呼んだ後、待てど暮らせど一向に伝票が来ない。何度か声をかけてもやはり伝票は来ない。今晩は何としても夜行列車でミュンヘンに戻らなければならず、戻れない場合は日本への帰国便の搭乗が若干怪しくなってくる。しかも悪いことに夜行列車はミラノ中央駅からではなく、ミラノ・ランブレーテ駅(Milano Lambrate)という、中心部から外れた所から出発するのだ。

膝の上で両手をモゾモゾと組み替えてみたり、テーブルの上にドーンと150ユーロくらい置いてそのままレストランを立ち去ることを想像をしたり、余裕かましてワインを飲んでいないでもっと早く動けばよかったと後悔したりしているうちに、どのくらい待ったのだろう、遂に会計伝票が来た。そうとなればもう一目散に店を飛び出し、映画のワンシーンよろしくミラノの街角を颯爽と駆け抜け、超高速で預けていた荷物をピックアップ、途中地下鉄の反対ホームに降りてしまうヘマをかましながらも、なんとか出発15分前にランブレーテ駅に到着。出発案内の電光掲示板に、イタリア風の地名の行先に混じって MUNCHEN HAUPT BAHNHOF という文字列を見つけたときは、心の底から安心したものだ。

電光掲示板の一番下、"MUNCHEN"の文字が流れてきた。正直、”MUNC……”くらいが現れたこの刹那が、旅中で最も嬉しい瞬間だったかもしれない。

 


ランブレーテは市の中心駅ではないからか雑然とした雰囲気で、天候はにわかに崩れ雷雨となり、うらぶれたコンクリート壁に大粒の雨が打ちつけ、低いホームには足元を濡らした欧米のバックパッカーがたむろしていた。

土砂降りの中、定刻より遅れて夜行列車が入線。時間になっても来ないのでひやひやした。列車はオーストリア国鉄が運行するÖBB NightJetだ*1。見た目は綺麗だがやや年季が入っている群青色の客車で、往年のブルートレイン24系客車を彷彿とさせた。

 

ブログ記事①のベルヒテスガーデンから一緒に旅をしてきたぬいぐるみ。夜行列車でドイツに一時帰国。

定刻21時28分を結局20分くらい遅延して夜行列車は出発した。早速スピードを上げ、夜のミラノ郊外を東進し、オーストリア方面に向けて疾走。これで短いイタリア滞在が終わってしまった。また来よう。夜更けの車内は静かだが、車窓の外からは時折雷鳴が聞こえてきた。

 

 

*1:なお、制度上ユーレールパスだけではÖBB NightJetは乗車できないが、ユーレールパスを乗車券のように使うことができる。
私は、ユーレールパスを用意した上でオーストリア国鉄の公式予約サイトから寝台券を購入した。2等寝台券80ユーロで十分快適。予約サイトは英語で利用ができるが、予約完了後にPDFファイルで出力されるチケット(寝台券)はドイツ語。一度PDFファイルをダウンロードしてしまうとその後の予約変更を受け付けられない仕様なので注意が必要。
車内検札では、予め印刷しておいた寝台券のPDFファイルだけを確認されたが、本来はユーレールパスも確認する運用な気がしている。

アルプス越えの旅④ (スイス・峠越え)

3日間を過ごした穏やかで美しいヴェンゲンから離れるのは名残惜しかったが、次に進む必要がある。ベルナーオーバーラント鉄道でインターラーケンまで戻り、シュピーツ(Spiez)でふらふらと途中下車などしながら、長大なレッチュベルクベーストンネルを越えて中継地となるブリーク(Brig)にやってきた。

 

少しだけ途中下車したシュピーツの街並み

ここから次の投宿地アンデルマット(Andermatt)までは、「氷河急行」という名の列車が運行されているレーティッシュ鉄道の区間だ。とはいっても、個人的には氷河急行のような観光列車よりは普通列車が好みなので、アンデルマット行きの普通列車に乗車した。こちらは事前予約が不要なので、予定に柔軟性を持たせたい場合はよい選択だ。

 

レーティッシュ鉄道の普通列車(普通に快適)

アンデルマットへ向かうのどかな車窓

 

途中フルカベーストンネルの区間では、カートレインというものを目撃した。それまで自走してきた乗用車やトラックを手前の駅から専用の貨物列車に載せてトンネルを通過することで、長大なフルカ峠の悪路を自走して越えずに済むというものだ。ヨーロッパではカートレインは一般的な形態のようだが、現代日本では既に姿を消してしまった。(もし日本にもあれば、遠方地へと私の小さな愛車を載せて、現地で気楽なドライブに出かけたいものなのだが)

フルカベーストンネルを抜けると、まもなくアンデルマットだ。

 

アンデルマット

アンデルマットはスイスを南北・東西に貫く街道の交差点であり、古くより地理的に重要な場所だったという。そんな前情報からなんとなくある程度大きな街を想像していたのだが、実際は周囲を荒涼とした岩山に囲まれた小さなこざっぱりした街だった。交通の要衝としての栄華は既に過去のものだったようだ。

市街地にはこれといった観光地はない。必要充分なものだけがちょうど揃っているという雰囲気、標高が4桁に達している高原に特有の寒さ。なんというか、背筋が伸びるような場所だ。

アンデルマット

 

再び冷たい霙雨が降ってきた。この日もまたCOOPで食料と安いワインを買いこんで宿に籠り、ベッドでごろごろしながら、この後向かうべきイタリア方面への列車時刻表や『地球の歩き方』を読み込んだ。既に旅が後半に差し掛かっていることを実感した。

 

翌日。本来の想定では、アンデルマットからさらにレーティッシュ鉄道を東に進み、ベルニナ線を抜けて国境を越えてイタリアに入国するつもりだった。しかし、どうやらイタリア入国後の区間では、大規模なストライキやら工事が発生しており、何やら交通網が寸断され、困ったことになっているらしい。それで妻と相談し予定を変更して、まずアンデルマットから谷の真下にあるゲッシェネン(Göschenen)という場所に移動し、ゲッシェネンからゴットハルトトンネルを経由して南進、そこからイタリアに入国することにした。

 

アンデルマット発ゲッシェネン行きの区間列車は、早朝だからか乗客は我々2人だけしかいない。列車は、「悪魔の橋」と呼ばれる街道沿いの難所を往く。深く切れ落ちた急流を渡り、それから渓谷沿いの絶壁をくりぬいて作った危なっかしい覆道をラックレールでガタガタと下ってゆく。谷底に落ちないように、失敗しないように…。そうして下った渓谷の、かろうじて地形が開けた場所にゲッシェネンがある。

列車からの悪魔の橋。

 

ゲッシェネン。
どんより曇っていて、岩がその場所を支配していた。地名はいかにもドイツ語の響きだが、駅の目の前に口を開けている峠のトンネルを出た先はイタリア文化圏で、太陽が燦燦と降り注ぐ場所だということだ (これは単なる比喩ではなくて、例えば天気予報も全然違う)。

 

この場所は、多和田洋子の小説『ゴットハルト鉄道』で、「スイスで最も醜い街」として言及されている。しかし、あの小説の主人公はトンネルの向こうのイタリア文化圏からトンネルを引き返して、結局ゲッシェネンに戻ってきてしまう。主人公は自分をトンネルの中、つまり山の体内に置きたいと感じたからである。私はこの小説がとても好きだ。

 

人間が岩山にトンネルをなんとかくりぬいて、イタリア方面へと繋げようとした。ゲッシェネンの駅舎には、ゴットハルトトンネルの工事に携わった「名前の知れた功績者、そして名前の知れていない功績者」の名簿が掲載されている。前者は工事の発注者、設計者や現場監督であり、後者はつるはしを担いだ労働者である。有名な人間や無名な人間が挑んだトンネルの、ぽっかりと開いた暗闇を目前に、ゲッシェネン駅は位置しているのだ。

 

 

 

ゲッシェネン駅とゴットハルトトンネル

駅から。アンデルマットへ登ってゆく区間列車

 

列車はトンネルを進む。10分ほど経っただろうか、意外にあっけなく、出口に差し掛かった。

UVカットガラスが嵌め込まれた新式の車両内からでも判るくらい、このトンネルを境に確かに「陽射しの質」が異なっていた。車窓から見える建物は、壁面が塗り壁からレンガ積みになった。車内の自動放送までも、ドイツ語からイタリア語に変わった。

峠を越えて、イタリア文化圏に入ったのだ。嬉しい、アルプスを越えた。
すぐにアイロロ(Airolo)という小さな駅があって、そこに短い停車をした列車は峠をどんどん降りていった。



ルガーノ

ルガーノはスイスの街だが、イタリア国境にほど近い場所に位置している。明るい場所だ。

 

ルガーノ

 

ルガーノ湖(Lago di Lugano)には遊覧船があって、これに乗ってみることにした。これが遊覧船というよりはルガーノ湖の各所を結ぶフェリーのような役割も果たしていて、湖畔の集落や、陸の孤島というしかない辺鄙な場所等を周遊しながら、元の船着き場に戻ってきた。

屋根のないオープンデッキ席に乗っていたから、アルプス以南特有の日差しをもろに受けてしまった。

 

寄港する集落。これは大きい方で、小さな港は1軒しか建物がないような場所もあった

 

ルガーノを出ると、すぐに国境を越えた。

 

 

『ゴットハルト鉄道』

https://www.kodansha.co.jp/book/products/0000169008

アルプス越えの旅③ (スイス・ベルナーオーバーラント)

 

スイス・ベルナーオーバーラント観光の金字塔、それがユングフラウヨッホ(Jungfraujoch)である。

とにかくものすごい坂を登り詰め、アイガーグレッチャー駅(EigerGletscher)でいよいよアイガー峰の断崖絶壁の目前まで迫った線路が、果敢なことにその断崖にトンネルで突入、トンネル内でさらに高度を稼いで標高3,454mの岩盤内に築かれたユングフラウヨッホ駅に到達する。それで終点。ユングフラウヨッホには展望台がある。

 

私には、それで終点というのが、なんか笑える。そんな大層な工事を100年以上前に敢行した理由は、山の向こう側にどうしても結ばないといけない大きな街があるからでもない。この鉄道は、要は単なる山登り、言ってしまえば一種の文化というか娯楽のために存在しているのだ。

人類は、娯楽というものにここまで情熱を注いでよいものなのか。実利のない、楽しみだけのために?……もちろんよいに決まっている。現にこの鉄道は100年以上健在だ。私たちも、もっともっと全力で遊ばなければならない。

などと思索に耽っていたら、どうやらユーレールパスの当該路線における有効区間と運賃割引率を誤解していたようで、有効な切符を持っていなくて車掌さんに罰金を取られてしまった(事前準備と英語の読解力不足だ)。地味に辛かった。

山体を貫くトンネルを進む

 

我々がユングフラウヨッホ駅に着くと、周囲は吹雪で一切何も見えない状況だった。気温は7月末でも氷点下だ。流石は超有名観光地で、展望がなくても訪問者をがっかりさせないように、施設内には色々な仕掛けが楽しませてくれる。氷像で世界の有名観光地等を再現したコーナーや、アルプスの景色をテーマにした仕掛け人形、リンツチョコレートの直売店など…。まあ、別に標高3,454mでなくてもよい内容ばかりではあるのだが、せっかくコンテンツを提供してくれているのだ、どれも有難く楽しませてもらうことにした。空気が薄くリンツチョコレートの店内を歩いても少し息が上がるので、それで高山にいることを実感するのだった。

 

吹雪のときの屋内コンテンツ

アメリカ合衆国のネズミも参戦 ありがとう

 

山は劇的だ。

もう帰りの列車で下山する予定の時間になっていたが、はるばるスイスを訪問し、しかも破茶滅茶に高い運賃を払ってアルプスのど真ん中まで来た。だからもう一度だけ、眺望ゼロの展望台に登ってみた。登山者としての勘が、おぼろげな太陽の輪郭と強風で流される雲から、展望台で待ってみる価値があると言っていた。

凍り付く展望台。しばらく寒さをこらえて頑張っていると、雲が徐々に切れてきて、恐ろしい程の青空と、思いの外近くにある真っ白なメンヒの頂点が見えてきた。そしてみるみるうちに先ほどまでの吹雪が嘘のように視界が開けて、一面に氷河の世界が広がった。

色々な国から来た観光客が、色々な言語で、オワー!とかヤッター!とか(多分)言って、ニコニコして記念撮影をしていた。もちろん私達もそうした。

姿を現したメンヒ Mönch (4,107m)

アレッチ氷河

眺望があったのはたった10分ほどだったと記憶している。その後はまた真っ白の世界に戻ってしまった。

 

 

ユングフラウヨッホからの下山後は、クライネシャイデック(Kleine scheidegg)付近を散歩した。曇りで展望は利かなかったが、その分たくさんの高山植物を鑑賞することができた。

翌日ヴェンゲンの宿からクライネシャイデックまでもう一度鉄道で登ると、今度は前日と打って変わって快晴だった。涼しく心地よかった。カウベルを付けた牛がたくさん放牧されていた。

このときは、スイスの観光ポスターか またはWindowsのデスクトップのような写真がたくさん撮れた。

私は、会社のパソコンのデスクトップをこのときの写真にして、今でも会議の冒頭に「これ実は自分で撮った写真なんですよ~」とか言ってアイスブレイクのネタにしたりしている。ありふれた会社員の行動様態である。

クライネシャイデック

ユングフラウヨッホ展望台を望む(中央)

ユングフラウ峰

山岳風景を堪能したので、また前に進む。次はこのアルプスの向こう側に進む。

 

 

アルプス越えの旅② (スイス・鉄道の旅)

 

早朝のミュンヘン中央駅。チューリッヒ行きの列車が出発するホームは国際列車だというのに随分駅の端の方にあって、そこにスイス国鉄の高速鉄道車両が停車している。ドイツの列車は、発車してもどこ行きの列車なのかのアナウンスもない印象だったが、スイス国鉄の車両は日本と同様にチャイムの後に車内放送が流れる形式だ。なのだけど、そのチャイムが変ロ短調のビブラフォン曲で、なんだかやたらとスタイリッシュなのが印象的だった。

ミュンヘン中央駅、チューリッヒ行き列車



 

しばらくスルスルと走っていると、やがて車窓には雨に烟る大きな湖が見えてきた。国境に位置するボーデン湖だ。ドイツを離れてオーストリア国内を通過し、すぐにまた国境を越えてスイスに入る。不安になるくらいに雨が強いが、そんなことはお構い無しに列車は飛ばしていき、やがてチューリッヒに着いた。

ところで、我々がそうして走行していたちょうどそのとき、近くのドイツ南部では大雨で路盤が緩み運悪くそこを通過してしまった列車が脱線するという事故があったらしい。やはりただ事ではなかったのだ。

 

チューリッヒ

チューリッヒ中央駅

駅前

チューリッヒはいかにもヨーロッパの洒落た街だったが、国土が小さいからなのか、ドイツの街並みよりコンパクトな作りに見えた。街を貫く河の水が青く澄んでいるのは、澄んだ河川を見慣れた日本人としては嬉しくなる要素だ。

フラウミュンスター教会でシャガールのステンドグラスを見たり、土産物を見たりした。

 

雨のチューリッヒ

やがて雨と冷え込みがまた強まって、なぜか傘を駅のロッカーに預けてしまった私は随分と苦労した。普段からレインジャケットに全幅の信頼を置いているので、いつも傘を持ち歩くことを忘れてしまうのだ。ユニクロの薄手のズボンがずぶ濡れになって寒く、体力を持っていかれた。妻がカイロをくれた。真夏の旅行なのにカイロを持ってくるのは賢いと思った。後で写真を見返すと、私は落ち込んで一回り小さくなった犬 のような顔をしていた。

 

チューリッヒからは、ルツェルンを経由し、さらにひと山越えてインターラーケンへ。いちいち峠越えのスケールが桁違いである。

列車が急勾配を登るため、線路と線路の間にギザギザのレールを敷いて、それを車両のおなかに仕組まれた歯車で掴んで滑らないようにする機構をアプト式ラックレールという(用語の厳密性はここでは許してください)。

日本におけるアプト式ラックレールは、大井川鐡道井川線にあるただ一区間だけが営業路線としては現役なのだが、井川線におけるアプト区間といったら一大行事である。その区間の手前の駅では専用の機関車を連結して、車内ではさあさあお待ちかねのアプト区間が始まりますよとアナウンスが入るし、駅には団子や餅の売り子さんまで出動する始末だ。その駅名は「アプトいちしろ」駅。そして乗客はみな固唾を飲んで90‰の急勾配を登るのだ。

このアプト式ラックレール機構が、スイスの鉄道においては「まあ坂を登るんだから当然だよね」といった何食わぬ顔で前触れもなくいきなり出現する。そして坂の区間が終わったら「まあ坂が終わったんだから当然だよね」といった顔で終了する。アプト式は当たり前の技術だから、ことさら特別視しているわけでもなさそうだ。

そう考えると大井川鐡道のアプト式での盛り上がりは、なんだか愛おしい。大切にしてほしい。

インターラーケンへの道中。雨。

 

インターラーケンに到着した。ここで有名な登山鉄道、ベルナーオーバーラント鉄道に乗り換え、さらにアルプスの麓を目指す。

 

ヴェンゲン

登山鉄道の途中駅、ヴェンゲン(Wengen)という場所に投宿した。ここは自家用車が乗り入れ禁止という小さな村で、たくさんの観光客で賑わうベルナーオーバーラント地方の中にあって静かな雰囲気である。地図上はヴェンゲンの一駅手前の賑やかなラウターブルンネン(Lauterbrunnen)からすぐの距離で村同士の交流が強いように見えるが、実際はラウターブルンネンが河岸段丘の深い谷底にあるのに対し、ヴェンゲンはその目もくらむような断崖絶壁の台地上に張り付いていて、本格登山に挑む気力と体力がない限り、鉄道以外での移動は実質困難なのだ。

 

ロッジ風の建物の、屋根裏のような部屋が我々の今日の宿だ。その建付けの悪い窓を開けておけば、1時間毎に時を知らせる教会の鐘の音(それは役割だけ抽出すれば日本の郊外における防災無線のようだ)、ラウターブルンネンに落ちる滝の微かな水音、夕暮れの日差し、高原の涼やかな風が部屋に舞い込んでくる。遠景に4000メートル級の山並みを雲間からかすかに望むこともできる。節約のためにCOOP(スイス国内どこにでもある)で買った惣菜とチーズをつまみに、安物のワインをちびちび飲んだ。幸せな時間だった。

ヴェンゲン市内

Gspaltenhorn(3,436m)を望む

夜明け前。眼下がラウターブルンネン

 

ところで、ヴェンゲンでは猫ともかなり仲良くなった。散歩をしていると、とことことついてきて、山を背景にポーズまでとってくれた。しかし後で分かったのだが、この猫は、目を離すとすぐに他の人間にも懐く奴だった。

猫なので仕方ない。

 

スイスにはその後もしばらく滞在した。

 

アルプス越えの旅① (ドイツ・ミュンヘンなど)

7月下旬、正味17時間の長いフライトをやっと終え、フランクフルト空港に着いた。東京の気温は「地球沸騰化」といった言説がリアリティを持って感じられるような暑さに達しているが、早朝のフランクフルトはそれに比べて随分と涼しい。というか、トランジットで降りたベトナムハノイでさえ東京よりは涼しかった。やはり東京の気候は異常だ。

我々はヨーロッパに新婚旅行に来た。自分が旅人であるというちょっとした自負が私にはあるし、妻は既に何度も旅を共にしてきた相棒でもあるから、新婚旅行といってもあくまで自分たちのスタイルを貫きたかった。つまり、鉄道を乗り継いで、どこかを目指して地を這うように街から街を渡り歩き、酒を飲み、山や自然に触れたかった。今回はそれをヨーロッパで実行するまでだ。

 

 

まずはフランクフルト中央駅からドイツの高速鉄道であるICに乗り、バイエルン州ミュンヘンへと移動した。

ミュンヘン行きのIC

乗車した車両は「サイレント」に指定されていて、あまり静かなのでひそひそ声での会話がやっとという環境だが、そこに飼い犬を連れた客が乗って来たのには驚いた。しかしその犬は約3時間、実際に何の音も発しなかった。ドイツでの犬のしつけ方はどうなっているのだろう、他のどの飼い犬も人間の大人と同様の立ち振る舞いをしているように見えた。

 

ミュンヘン

ミュンヘンは雨模様で肌寒かったが、よい街だ。アルプス山脈が近いからかフランクフルトより夏はさらに過ごしやすいし、頻繁に行き来する路面電車や地下鉄で市内を便利に移動できる。

 

まちかど

 

そしてよく飲んだ。特にミュンヘン市庁舎の地下にあるラーツケラーミュンヘン(Ratskeller München)はおすすめです。焼きたてのプレッツェルは岩塩が豪快にまぶしてあり他店のに比べてもしょっぱくて、とにかくビールが進む。老若男女、お一人様、グループ、飼い犬連れ、いろいろな客が飲酒していた。初めて訪れた街での飲酒活動はなぜこんなに楽しいのだろう。

 

ラーツケラー ミュンヘン

 

ちょっとした痛い目にも遭った。2軒目として行ったホフブロイハウス(Hofbräuhaus)、巨大な店内は皿やジョッキがぶつかる音、話し声、定期的に発生する酔っ払いたちの歌で完全に混沌とした状況だ。何かと無駄がなく理性的に見えるドイツの、理性的でない部分を濃縮して、この店内に詰め込んだという風情である。なんとか我々も空席を見つけて着席したのだが、店員に若い東洋人と見下されたのか、いつまで経っても注文を取りに来てくれないし、呼び止めても受け流されてしまう。何十分か経ったので流石にしびれを切らして席を立とうとしたら、その仕草を見てやっと店員が来た。なんなんだよ!とぼやきつつビール(大)を下手くそなドイツ語で注文したら、やがてクソでかい1Lジョッキが運ばれてきた。なめられてたまるかと思いながらそれをガブガブ飲んでいたら、隣の席にいた親切なドイツ人に「You are brave boy!!」と称賛された。草生えた。もうboyって歳じゃないし。こんにゃろ、と思ってもう1杯注文してそれもガブガブ飲んだ。

色々と悔しかったが、酔いが負の感情をきれいに消し去っていた。日中降っていた雨は止んで、空は藍色だ。気づけばもう22時になろうとしていた。

夜のミュンヘン

ベルヒテスガーデン

ベルヒテスガーデンは、オーストリア国境近くの山岳地帯にある高原の小さな町だ。ここへ訪問する観光客の大半は、ヒトラーの別荘であったケールシュタインハウス(Kehlsteinhaus)に行くのだが、我々はその満員バスを見送って、ベルヒテスガーデン岩塩坑(Salzbergwerk Berchtesgaden)へ。

ここでは、坑道を疾走するトロッコ、滑り台、地底湖の船などを乗り継いで岩塩坑の奥深くを見学(探検)することができる。始めに鉱山作業着のようなものを全員強制で着せられるのでインスタ映えからあまりに程遠いのだが、アクティビティとしては世界屈指の面白さだと思う。ミュンヘンザルツブルクに滞在予定の人は是非行ってみてほしい。

岩塩坑から出てきたトロッコ

 

 

この後はザルツブルクにも寄って、それからスイスに向かった。

後志・胆振の旅

 

出張で札幌へ行き、人並みに業務をこなし、人並みに会食やらにも出席して、それはビジネスパーソン的観点において有意義な時間だったという自負があるのだが、北海道まで来てそれだけで帰るのでは非-ビジネスパーソン的観点においてはやはり物足りない。

札幌

小樽


蘭越駅

それで、業務が終わると札幌駅で同僚と別れて私はひとり小樽へ向かった。小樽の居酒屋で店主のおばあちゃんズにモテて頂いてしまったお菓子を食べながら、翌朝は函館本線山線区間の蘭越駅へ向かう。これといって景色のいい路線でもないし、私のライフスタイルからすると恐らく蘭越という町にいかなる用事も見出すことはできないのだが、このような人生に無関係な町にも降り立たせてくれることは、こういった列車の旅の醍醐味だと思う。

蘭越

蘭越・尻別川



 

駅前には特に観光地もないので、尻別川のほとりに着座したり、やがて雨も降ってきたので誰もいない蘭越駅で缶コーヒーを片手に雨宿りしたりで、時間は過ぎていった。北海道新幹線が札幌まで開通すれば消滅が予定されている蘭越駅。もう降り立つことはないだろう。道南は花盛りで、すずめやひよどりも元気に鳴いている。そのうち後続列車が到着し、長万部に到達した。これで目標としていた函館本線山線区間を乗り通すことができた。

蘭越・尻別川

無人駅での雨宿り 雨音と鳥のさえずりが気持ちよい

 

小幌駅

 

次に向かったのは長万部から2駅、室蘭本線の小幌駅である。

小幌駅は、マニアの間では有名な日本一の「秘境駅」である。秘境駅というのは、要は下車しても一帯に何もない駅のことを指す。小幌駅はその最たる存在で、まず2両分しか止まれない小さなホームは深い谷間にあり、駅の両側は長いトンネルに阻まれている。駅の周りに人家は全くなく、また駅に続く道もない。いや、道はあるのだが、その道とは、あたりを絶壁に囲まれた無人の海岸に続くだけの獣道なのである。

普通列車の車内に「まもなく小幌です」というアナウンスが流れ、列車は減速する。しかしまだ真っ暗なトンネルの中だ。もう止まりそうになる程スピードを落としたころ、突如列車は鬱蒼とした藪のような場所に飛び出す、そこにちょこんと小幌駅のホームがある。

駅には誰もおらず、下車したのは私だけだった。車道からここへ通じる山道もないため、次の列車がやって来るまでの3時間弱、確実な孤独が約束された。

小幌駅



この駅だけには靄がかかっていて、何か独特のにおいがする。はじめはそれがなぜなのか分からなかったのだが、理由はこうだ。
ここは秘境とはいえ、室蘭本線は札幌方面と本州各都市を結ぶ大動脈である。貨客問わず通過列車は多く(但し停車する列車は非常に少ない)、特に貨物列車の通過数は目を見張るものがある。前述の通り小幌駅は長いトンネルに挟まれた谷間にあるため、通過するかなり前より、トンネルに列車が突入した際に空気が圧縮され、ホームにはトンネル内から強い風が吹く。しばらくすると甲高い汽笛と轟音を立てて列車は通過するのだが、ここは非電化区間なので動力はディーゼルで、列車には排気ガスが伴う。トンネルからの風と通過時の排気ガスは、自然風の少ない谷間に淀んで滞留する。やっと薄まってきた頃にはもう次の列車が来る、という具合で、常に排気ガスの靄とにおいが漂っていたのだ。秘境であることと空気が澄んでいることは、駅においては相関しない。

トンネルの奥から列車の気配がする 靄がかかった強風が吹きやがて地鳴りのような音がする

貨物列車が通過する この列車は遠く東京隅田川貨物駅行きだろうか

 

 

海岸に降りてみる。私が普段歩くような登山道よりも状態が悪く、7月ということもあって藪漕ぎのような場面もあった。波の音が大きくなってきて、程なく石がころがる狭い海岸に出る。ここで持参したかにめし弁当を食べようとした刹那、すぐ近くに中~大型動物の脚部の骨を見つけてしまった。恐る恐る視線を横に向けると、なにやら頭蓋骨のような白い残骸もある。これはまさか人間の…。背筋に寒気を感じたが、驚こうと喚こうと、どうせこの場所には私一人なのだ。それにここは「きさらぎ駅」でもない。空想に支配された不安より、ヒグマが出る可能性や目の前のうるさい虻を心配すべきである。謎の割り切りで、かにめし弁当をいただくことができた。とても美味しかった。

 

海岸 端的に無人である




海岸はよく観察すると、骨、高級そうな昆布、雲丹や牡蛎の殻、流れ着いたペットボトルなどいろいろなものが落ちているのだった。ただ無感情にそれらは落ちていた。私は敢えて振り返らないようにしながら獣道を駅に戻った。

駅へ戻る道 (道とは?)

時刻は17時を過ぎている。決して日当たりのよくない谷間にあって、駅は薄暗くなってきた。長いトンネルの奥でまた列車接近警報が鳴っている。迎えの列車が来たと思い喜んでホームに上がったが、それは轟音を立てて通過する貨物列車だった。本当に迎えの列車は来るのだろうか?

本当に貨物はよく通過する 下り札幌ターミナル行き

駅遠景

その次に今度こそ、各駅停車がゆっくり入線してきた。ドアボタンを押して乗り込めば、明るい車内にスマホに夢中の人間がたくさん乗っている。彼らはほんの一瞬こちらを一瞥し、またスマホの世界に戻ってゆく。この何気ない一瞥が、私にとっては「人間界へおかえりなさい」の意味に感じられた。

迎えの列車がきた

彼らは、よもや私が出張帰りのビジネスパーソンであり、ぎゅうぎゅうのザックの中にPCとスーツが詰め込まれているとは認識しなかっただろう。

 

その後は室蘭で工場夜景を撮ったり、登別温泉で外国人観光客の写真を(頼まれて)撮ったりした。

 

出張の余暇はこのように使うべきである。