土砂降りのミラノを出立した夜行列車は深夜のうちにオーストリア国境を越えており、ザルツブルク州付近の山間部を走行中に目が覚めた。早起きするつもりが、随分よく寝てしまったようだ。雨は止んでいたが低い雲と霧がかかってどんよりした天気。サービスの朝食を摂った後、流れる車窓をなんとなく眺めながら、あと数時間の旅路は二度寝でもしようかと思う。しかし他のどのクシェットでも、大人も子供もきちんと姿勢を正し座って到着を待っていたので、なんとなく気が引けて二度寝はやめにした。


そんなこんなで10時10分、ほぼ定刻で無事ミュンヘンに到着した。
再びのドイツ
到着後は、まだ午前中だったがラーツケラーミュンヘンに再訪し、無事にドイツに帰ってきたことをささやかに祝った(ささやかとはいえ、もちろんEin großes Bierとともに)。
なお、この記事を作っている中で知ったのだが、ラーツケラーミュンヘンはその後、2025年末に閉業してしまったそうだ。ここは、新婚旅行の始まりに、冷たい雨の降るミュンヘンに興奮しながら着いてまずビールを飲んだ、思い出の居酒屋でもあった。短い期間にたった二度しか訪れていないわけだが、私達にはそれ以上の深い思い入れがある場所であり、閉業を知った時しばらくは言葉に詰まってしまった。

そして最後のユーレールパスを使って、帰国便が出発するフランクフルトに移動した。ヨーロッパから離れるのはもちろん名残惜しかったが、早くもアジアの食事が恋しいとなって、結局ドイツ滞在中最後の夕飯ではフランクフルト市内の蘭州牛肉麺の店に行った。牛肉麺はほっとする味だった。しかし夜のフランクフルトの治安の悪さには辟易した。フーリガン、明らかにラリってかなりヤバそうではあるが仲良くできそうな奴、相容れなそうな奴、割れた酒瓶、得体の知れない残骸。
街の光、旅の終了
フランクフルト発ハノイ行のベトナム航空VN36便。しばらく夕暮れの空を飛ぶ航空機の窓に私は張りついていたが、何時間経っても眼下の厚い雲が切れないので仕方なく読書や映画を眺めることに転じた。
離陸から何時間経ったのだろうか、消灯しもう機内の誰もが寝静まった頃、ふと目が覚めると現在航空機はトルクメニスタン上空を通過しているらしい。虚ろな目で外を見ると、いつの間にか雲ひとつない夜空である。そして下方10キロメートルには、ガス田なのだろうか、煙突からゆらめくたくさんの炎と、その奥にはほのかだが、確実に大都市のものであろう街の光が見えた。
あの光は恐らく、トルクメニスタンの首都、アシガバードのものだ。
確かに私は今、アシガバードからわずか十数キロの地点を通過したのだ、しかし今後、私はトルクメニスタンという異国の首都であるアシカバード市内に立つことはあるのだろうか?恐らく可能性は低いだろう。そう思うと、人生の中で経験できる旅が、いかに限られたものか。地球のほんの一部分を見聞してから、一生はあっさり終わってしまう。それは仕方のないことだ。そんなことを考えながら再び眠った。
やがて明け方になり、ハノイでのトランジット後、東京には午後に着陸した。羽田空港では我々の共通の友人が迎えに来てくれていた。友人と妻と私の3人で、京急に乗って横浜・野毛の居酒屋に流れこみ、刺身と日本酒で打ち上げを実施してから、帰宅した。
出発前にやや散らかっていた家の中は、当然のように何も変わらず散らかっており、それは安心する光景だった。
そして帰国から半年以上経ち、この文章を書いている今、我々の家の玄関には、ユングフラウヨッホで買った土産物のマグネット式スノードームが貼りついている。スノードームはあと何十年か、私たちの玄関に貼りついているのかも知れない。マグネットは半永久的な力を持っているからだ。
終



























































