色とりどりの棒

わかりたい

八ヶ岳本沢温泉

 

 

大型のザック、テント、寝袋、折り畳み式のガスバーナーなどの登山道具が漸次的に一式揃ってしまい、それには小さくない額の出費が伴ったのだが、そうなると最早行先は丹沢と奥多摩だけではあるまいとなったのは、今から約2年前のことである。

先日寝覚めにスマートフォンを見たところ、Googleフォトという写真を保存するクラウドサービスが、お節介なことに「2年前の思い出を振り返りましょう」などといって八ヶ岳の画像を表示している。朝から本当にお節介なことだ。そうだ、2年前には初めて八ヶ岳に登ったのだった。

 

行先を八ヶ岳にしたのは、やはり東京からの行きやすさがあった。時刻表と山の地図をぱらぱらとめくった結果、佐久平から小海線に乗り換え、小海駅からバスで稲子湯へ。そこから入山し、本沢温泉へと歩く。そこでテント泊をし、2日目は2600m級の根石岳・東天狗岳と踏んで、しらびそ小屋経由で稲子湯へ下山。小海線小淵沢に抜けて、中央本線で帰京、ということにした。

特に無理も危険もない、春ののんびりした北八ヶ岳の周遊コースだ。

 

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せっかく綿密な計画を立てた当の私が寝坊して同行者の友達2人に怒られたりしながら、はるばる稲子湯へやってきた。まだ朝の雰囲気だった。6月初旬の八ヶ岳は新緑の季節にあたり、瑞々しい苔類が美しかった。森林鉄道の廃線跡でもある山道を辿りながら何時間か進むと、やがて明日その頂上に立つ予定の天狗岳が、想像よりずっと高い位置にギザギザした姿を見せている。それまで丹沢と奥多摩だけだった自分には新鮮で心躍る光景だった。

そこからさらに山奥に進むと、本沢温泉にたどり着く。本沢温泉の風呂は、間近に迫る硫黄岳という火山が爆発して、爆裂火口の河原となっている場所にぽつんとひとつの湯舟がある。脱衣室も屋根も水道も電灯もない、(良く言えば)野趣あふれる温泉だ。そのお湯は真っ白で、山行の疲れを癒してくれる。

 

この野趣あふれる「野天風呂」までは、私たちがテントを張った場所から薄暗い山道を10分ほど辿った場所にある。温まってぽかぽかした気持ちになったところで、夕方に私たちのテントに戻り、夕食の準備をしつつ、麓から担いできたビールで乾杯した。幸せだ。

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電灯のない山の夜は、そこで過ごしたことのある人でないと理解できない長さと黒さがある。

夕闇が深くなると、山の様相は一変する。昼には陽を浴びて親和な雰囲気だったシラカバの大木が、いつの間にかそれ自体が黒い大きな影のようになる。向かいの尾根の山肌は夜空に圧倒的な大きさの一枚の黒い壁と化す。沢の流れ、木の葉のざわつきが、正体不明の通奏低音となり、否応なしに聞こえてくる。そして頭上は圧倒的な星空と、それを遮る早い雲の流れ。それが10時間続く。

 

20時を過ぎた頃だっただろうか、もう遅い時間だったが、一通り酒に酔ったところでもう一度あの野天風呂に行こうということになった。ヘッドライトを装着して真っ暗になった山道を辿る。驚くことにこんな時間でも風呂には先客がいたが、私たちが来るとすぐに戻ってしまった。月や星を眺めながらの風呂は心地よかったが、もしいま物の怪に遇ってしまったら、裸では具合が悪いな、などと卑小なことを考えたりした。

 

野天風呂からテント場への山道を戻る途中に、木がないため空の広いガレ場がある。誰が言い出したのか、そこに寝そべって星を眺めようということになった。いや、私が言い出したのかもしれないが、とにかく私はそこで形容しがたい体験をした。

 

立ち止まって自らの靴底が石を踏む音が消えると、本当に山では様々な音が鳴っていることがわかる。そのガレ場は野天風呂へ続く小径と、ここから数キロ登った位置にある夏沢峠への登山道の分岐点だった。

夜のいろいろな音に交じって、夏沢峠の方向に、こちらへ向かってくる微かな足音と熊除けの鈴を聞いた気がした。こんな暗い中で下山する者があるのだろうか。音の主がここまで下ってきたとき、真っ暗な道端にいきなり横たわっている我々を見たら度肝を抜いてしまうのではないかと不安になった。

しかし、足音の主は遂に現れなかった。もうある程度近くまで来ている気がしたが状況は暗くて何もわからなかった。そのとき私の脳内には、AKB48が歌う「会いたかった~会いたかった~会いたかった~Yes!」という1フレーズがひたすら流れていた。この楽曲はもう古典に属するのかも知れないが普段クラシック音楽しか聴かない私には脈絡のない現象で何か不気味だった。突如ガレ場の上部から小動物のギャッという大きな鳴き声が聞こえて、私はもう星の鑑賞どころではなくなり、友達に頼んでテントへいそいそと引き返した。時刻は21時頃だったはずだ。

その晩は2人用のテントを3人で使ったので何かと手狭で、なかなか寝付けなかった。テントが風に打たれてパタパタと音を立てる。いつの間にか闇に紛れてこの小さなテントの周りを人間が取り囲んでおり、テントをそっと手で揺すっているのではないかと思った。外を覗いて確認したい。いや、そんなわけはない、風なのだ。しかし真夜中、テントを揺する人間が3秒後に突如大音量で「会いたかった~会いたかった~会いたかった~Yes!」と合唱を始めるのではないか。その場合私の心臓は即座に停止するだろう。そんなわけのわからない恐怖が脳裏を離れなかった。

 

長い長い夜は、恐れいていた突如の合唱も特になく空けてくれた。きりりと寒い朝だった。

7時頃、3度目となる野天風呂に行った。爆裂火口に着くと、いかにも山男という風貌の男性が、気持ちよさそうに鼻歌を歌いながら浸かっているのが見えた。なんでも近日中に開山祭というのがあり、そこで彼の自慢の喉を披露するのだそうだ。一曲聞いてくれといって、おじさんが硫黄岳の爆裂火口に響かせたのは「365日の紙飛行機」というAKB48の楽曲だった。

山男が歌うAKB48は味わいがあったが、昨日の一連の幻想に現実がリンクしてしまったことで幻想に対して単なる幻想以上の意味が生まれたような気がして私は大いに戦慄した。今一度、いま物の怪に遇ってしまったら、裸では具合が悪いな、などと卑小なことを考えたりした。昨日の存在しなかった足音と熊除け鈴の音の主は彼なのではないかと思ったがそれは不合理な考えだ。彼は八ヶ岳のいろいろなことを教えてくれるとても親切な方だった。

 

テントを撤収して荷物をまとめ、いよいよ頂上を目指して登る段になった。昨晩寝そべって星を眺めたあのガレ場を過ぎ、幻聴が聞こえた夏沢峠の方向へと進んでゆく。幻聴の熊除け鈴は、今は自分のザックから聞こえる。それがなぜか心強かった。

少し登ったところに、野天風呂を上から見下ろせる場所がある。山男はまだ風呂を満喫しているようだったが、もうさすがに「365日の紙飛行機」を歌うのはやめてしまったようだった。やがて登り詰めた天狗岳の頂上は感動的だった。

 

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Googleフォトという写真を保存するクラウドサービスが、お節介なことに「2年前の思い出を振り返りましょう」などといって八ヶ岳の画像を表示した結果、刹那的に思い出したことは以上のような顛末である。

この文章が日記なのか、それとも空想をタラタラと書いただけなのか、自分でもよくわからない。

とにかく本沢温泉は気に入った場所で、実はその年の秋にもう一度訪れた。山に興味があれば、あなたも行ってみてほしい。