色とりどりの棒

わかりたい

中国横断旅④ (カシュガル~旅の終了)

~6日目~ カシュガル

 

昨晩にウルムチを出発した列車は、トルファン、クチャ、アクスといったオアシス都市に停車しながら、(少なくとも列車で到達できる)中国最西端の都市、カシュガルに向かう。南西に向かって進む列車の車窓は、左側はタクラマカン砂漠の真っ平な大地、右側は天山山脈に連なる荒涼とした山々が広がる。

しかし、天山山脈の雪解け水が地下水となるのか、これまでに比べれば少しだけ緑の気配がある。

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「右側」の景色 ほんの少し緑の気配がある

それにしてももう、かれこれ4泊分を寝台列車で過ごしている。車窓は2日目の午前中以降ほぼずっと不毛の地だが、飽きることはない。どんなに同じ景色が続いても、どこかに向かって進んでいる。ちゃんと進んではいるという実感があれば、退屈ではないものだ。

 

20時05分、遂に列車は定刻でカシュガル駅に着いた。北京から67時間、思い返せば本当に長かった。

自慢ではないが、平均的な企業の1週間の定時労働時間は35時間。その倍に迫る乗車をしたことになる。ゆっくりと列車が停車したとき、大きなため息が出た。一緒に旅をしたおばさんに笑われた。

 

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カシュガル

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カシュガル駅 駅舎

 

20時を過ぎているというのに、まだ夕暮れになる気配さえない。カシュガル駅は、駅前に緑の広がる広場がある。なんとなく日本のような瑞々しさはないが、それでも火星のような風景を嫌というほど見てきた列車の乗客には嬉しい色彩だ。

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駅前広場

バスで市内へ向かう。ウルムチと違い、乗客はほとんどウイグル人だ。本当に言葉が通じない。とりあえずそれっぽい系統の路線に乗ってみたところ、ちゃんと市内に着いた。

 

 

~6日目夜 7日目 8日目~ カシュガルにて

 

カシュガルという街については、自分はそれを形容する語彙を持ち合わせていない。

建築、路地、大気の香り、生活、風俗、衣装、子供、そしてここが「中華人民共和国」の支配下にあるという緊張感さえも、その全てを包括して、筆舌に尽くしがたい美しさだったからだ。

あまりに美しかった。自分はかつてこんなに美しい街を見たことはなかった。穏やかで、それでも活気に溢れ、緑豊かで、古いものは丁寧に大切にされていた。22時、ホテルに荷物を置き、興奮気味に街に繰り出す。やっと夕暮れだ。

 

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夕闇の旧市街

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露天酒場

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露天酒場

カシュガルが美しい都市?それは旅行者=部外者でないと抱かない感想かも知れない。新疆の不都合な真実は、収容施設の過酷な実情を直視しなければわからない、と言われてしまったら、確かに反論はできない。ではこれは間違った感情なのか?僕は政府が造った見せかけの平和を提示され、まんまと喜んでいるのか?もしそうだとして、それはどのように間違っているのか?今日到着したばかりの部外者が、それを語ること自体が横柄ではないのか?

 

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夜更けの路地裏

 

大層なことを言いたいわけではないが、一体旅とは何なのだろうかということまで考えてしまう。カシュガルは一生忘れない街だと思う。

 

7日目・8日目は、歴史的建造物やバザールを巡ったり、茶館に行ってウイグル舞踊を見たり、太鼓を買いに楽器屋に行ったりした。

その全ての記憶が、散歩に適した気温と日差し、からっとして気持ちのよい湿度、言葉はわからないが親切で穏やかな人々*1と共に思い起こされる。

 

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静かな表通り

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路地裏

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路地裏

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玄関(勝手に撮ってごめんなさい…)

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標識 いい書体だった

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壺やさん(?)

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楽器やさん

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楽器やさん

カシュガルを歩いていると、子供が至るところで遊んでいる。日暮れが遅いので、23時くらいでも平気で5歳くらいの小さな子が遊んでいたりする。中国沿岸部から来た観光客は酔っぱらっていい気分になっている時分なので、すっかり出来上がった彼/彼女らの横で子供が遊んでいるのは少しひやひやする風景だ。

ところで、この街にウイグル語はおろか中国語も覚束ない外国人は稀なようだ。僕が路地裏を歩いていると、わんぱくな男の子が「自分の持っているカメラと君のを交換しよう」と話しかけてきた。

見てみると、プラスチックのおもちゃじゃん。絶対お断りだわ、と言いたかったが、わからなかったのでとりあえず「不是‼‼」といっておいた。あとはひたすら鬼ごっこで遊ぶ。

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このカメラと交換はできないかな

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撮られた(?)

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わらわら集まってきた 集合写真

この写真を撮った瞬間が、あの夏休みで一番幸せだったと思う。

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踊る子供たち

 

ちなみにウイグルでは、女の子も小さな頃は坊主刈りにすると、その後よい髪が生えてくると信じられているようだ。

 

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モニュメントに登ってしまう子供



旧市街には百年老茶館という有名なウイグル風喫茶店がある。観光客は多めだが、美しい絨毯に胡坐をかいて現地の様々なお茶を楽しむことができる。そして15分ほどすれば、どこからともなく歌と踊りが自然発生する。軽快な太鼓のリズム、中東風の旋律を聴けば、おおよそここが中国だとは信じられなくなるだろう。

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百年老茶館

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砂糖

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アパク・ホージャ墓

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アパク・ホージャ墓

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中央アジアの唐草模様

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唐草ではないけどこれも綺麗

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廃屋 「毛沢東」の漢字を練習した痕が…

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なんだこれ

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丸2日以上、特に郊外の見どころに出かけることもなく、ひたすらカシュガル市内を散策し続けた。もう旧市街の全ての路地を歩き尽くしたかもしれない。2日目には外国の初めての街にいる緊張感も薄れ、安心からくる疲れに襲われた頃には、深夜1時のフライトがあと6時間ほどに迫っている。余裕を持って行動すれば、この街にいることができるのはあと2時間程度だった。

最後に、モスク前の広場でまどろむ。友達同士は語り合い、子供は親にせがんでラクダに乗せてもらい、バスは相変わらず規則正しく運行されているのに、自分だけが明日の夜中には直線距離で何千キロも離れた日本にいるということが、にわかには信じられない。

もう忘れてしまったが、このまま帰りたくない、と少し思ったような気がする。

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最後の夕暮れ

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カシュガル空港

バスに乗って空港に着いた。近代的な、どこにでもある空港だった。それから、見慣れた中国国際航空の機体に乗り込んだ。

 

~9日目~ 帰路 ソウル

 

夜中1時、飛行機はまず北京に向かって6時間飛んで、そこからソウルまで1時間半飛んだ。夜中なのに機内食の配膳で起こされてちょっと参った。

 

ソウルは単なるトランジットで寄っただけだが、韓国料理が食べたかったので、昼に着いて、夜に出発することにした。ソウル駅の隣、南大門市場界隈に向かう。

両国には嫌韓反日といって韓国と日本の違いをやたら喧伝する方々も多いが、地下鉄は日本語のアナウンスがあるし、空気感、街並み、言葉の雰囲気、どれをとっても昨日まで新疆にいた身からしたらほぼ日本に帰って来たような気分だ。

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タコチゲと酒 うまそうである…

実に10日ぶりに海産物を食べた。

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南大門市場 新宿の思い出横丁に似てる気がする

ソウルでは、気が抜けたからか正直ものすごく酔ってしまった。南大門市場の風景はあまりに新宿の思い出横丁に似ていて、朦朧とした意識で新宿駅を真面目に探してしまった。新宿駅から僕の家は50分だ。あと50分で帰宅だと思ったのに、実はここから空港に行って、出国審査を受け、飛行機に乗って、今度は入国審査を受け、夜中の羽田空港から帰らないといけなかった。

そのことに思い当たった時、あまりの面倒さは、一時その場にしゃがみこんでしまったほどだった。

 

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ソウル駅前

ソウル駅前のペデストリアンデッキには露天のストリートピアノがある。なぜか僕はアルベルト・ヒナステラソナタを演奏してみた。ヒナステラはアルゼンチンの作曲家だ。新疆とも、ソウルとも、東京とも、特に関係がなかった。酔っ払っていて、物凄く下手だった。

 

あとはプライムビデオを観たり、ぐーぐー寝たりして東京に帰った。羽田空港では親が車で迎えに来てくれた。

 

*************

 

お土産を配ったり、友達に旅行自慢をしているうちはまだ記憶が鮮明だった。しかし今、早くも過去の想い出になりつつある。2020年3月、世界はコロナウイルスで大変なことになった。とてもじゃないけど、中国渡航はできそうにない。敦煌への列車で知り合ったswitchが弱いオタクや車掌さん、カシュガルの子供たちはどうしているだろうか。

彼ら/彼女らは、数年後、仮に偶然また会うことがあっても、自分を覚えていることはほぼないだろう。しかし逆に、自分は覚えている。もしかすると一生覚えているかも知れない。よくわからないけど、その非対称性こそに旅の姿がある気もする。

 

 

 

 

*1:この街は公安もウイグル系が多く、少なくとも表面上は市民と馴染んでいる。握手し、談笑している。

中国横断旅③ (ウルムチ)

~5日目~ ウルムチ見学

 

夜行列車は新疆ウイグル自治区に入った。遅い朝焼けが寝台に射し込んで目を覚ますと、列車はもうあと60分ほどでウルムチに到着するところだった。

軽快な音楽と共に車内放送が流れる。

「皆さま、おはようございます。間もなくこの列車はウルムチ駅に到着します。この先もよい旅を。社会主義核心価値観、富強 民主 文明 和諧 自由 平等 公正 法治 愛国 敬業 誠信 友善。」といった具合だ。*1

 

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駅 ウルムチは大都会だ。名古屋よりは小さいかも知れないが、仙台よりは大きい気がする

 

駅の到着ターミナルを出ると、いきなり武装警察の黒い車両が停まっていてさすがに緊張感があった。彼らの実施する金属探知機の検査をしないと街に出られないようだ。

並んで検査を受けたので、早速バスに乗ろうとする。ここにも金属探知機による検査がある。あっ、逆方向に乗ってしまった!すぐに正しい方向に乗り換える。金属探知機。街を散歩する、このお店面白そうだな。はい金属探知機。

……全くなんなんだこの街は!!と大きめの声で呟いてしまった。何をするにも金属探知機と無数の監視カメラ。100m毎に「防爆」と書かれたゼッケンの公安がいるし。そして10m毎に書いてある社会主義核心価値観。これは凄い。迫力がある。ここは1984の世界なのだろうか。

 

日本を出る前、「新疆に行く」といったところ、結構いろいろな人に心配された。治安は大丈夫なのか。しかし、多分これなら大丈夫だ。国家権力を敵に回さない限りは。犯罪をする隙が見当たらない。ある意味ものすごく治安がいいのだ(しかしそれが正しい街のあり方なのかは全く別だ)。

公安や特警に見咎められることを恐れ、ウルムチの写真は少なめになってしまった。

 

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宗教施設の前の貼紙。イスラム教は「規則の範囲内で」信仰しなければならない。

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街並み

ウイグルの雰囲気を求めて、南側地域の国際大バザールにやってきた。地下鉄1号線 ニ道橋駅のバザール周辺は住民もウイグル系が多く、雰囲気が違う。レストランに入り、アラビア文字のメニューがわからずしどろもどろしながら注文するとウイグル風チャーハンが出てきた。僕は麺を頼んだつもりだったのだけど。

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大バザール

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特産の宝石を売る

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立ち寄ったレストラン 可愛い内装

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ウイグル風チャーハン

やっと少し落ち着いたところで「新疆博物館」に行ってみることにした。実物のミイラを観ることができることで有名だ。ところで、この博物館は入場料が無料だ。これはどうも怪しい。中国の有名観光地はどこも物凄く高いイメージがあるのに無料ということは…。

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新疆博物館

入ってみると、ああ、やはりこれだ。

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博物館エントランス とても赤い!!

まっ赤の共産党成分100%である。北京の天安門で思い知ったように、国費で建っている施設は無料で入れるのだ。

この博物館自体、「共産党のお陰で、新疆は経済発展してきた」というプロパガンダなのだ。その証拠に、博物館の展示内容自体も、古代より漢民族(張騫とか甘英とか)が西域に流入し民族平定したことがこの地域の発展の基礎になった、という主張が目立つものだった。

トルキスタン漢民族の交流には正負含めて多面的な要素があるように思うのだけど…と複雑な気持ちで英語の解説文を読んでゆく。もやもやする。ウルムチに来たなら、この地域の実情を知るためにもここは行った方がいい。そして、解説をよく読み、それを鵜呑みにせず、理解しようと努めなければならない。

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展示内容は豊富 ミイラは写真撮る気が起きなかった

名物のミイラにも出会った。サブカルっぽい服装のお兄さんが一生懸命ミイラの写真を撮っていたが、あまり趣味のよい行為だとは思わなかった。一言も話していないが、なんとなく彼は日本人であるような気がした。

 

博物館の近くには無印良品がある。無印良品たまごボーロのようなものを買った。無印良品のヘビーユーザーでも、ウルムチ店まで行った人はなかなかいないだろう。

 

なんだか疲れてしまった。ウルムチは宿泊することなく次へ進むことにした。駅に戻り、また金属探知機。高層ビルの奥に、夕焼けで燃えるような遠くの山並みが見える。写真に収めていたら特警3人に呼び止められてしまった。盾を持った一人目、銃を持った二人目、さすまたを持った三人目。今撮った画像に彼らが写っているのではないかというわけだ。しかしそんなことではもう慣れてしまって、これくらいでは緊張しない。ウルムチの日常にだんだんと順応してゆく。

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ウルムチ駅出発ロビー 空港レベルの大きさがある

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カシュガル

23時20分、ここからあと20時間ほど列車に乗り、最終目的地のカシュガルに向かう。

*1:https://dailyportalz.jp/kiji/170825200511 社会主義革新価値観がどれくらいあちこちにあるかというと、この記事を読んでもらうのが一番早いと思います。

中国横断旅② (敦煌)

 

 

~3日目~ 敦煌到着、莫高窟

 

夜行列車は2日目の真夜中も淡々と進む。相変わらず真っ暗で何もわからないが、地図の位置情報は武威、張掖、嘉峪関……漢詩に登場する西域の地名を通過してゆく。

[...]君に勧む更に尽くせ 一杯の酒
西のかた陽関を出ずれば 故人無からん

という王維の詩の一節がある。西域へ旅立つ友を送るとき、陽関を過ぎるといよいよ知り合いのいない砂漠なので、ここで酒飲んでお別れしような、というわけだ。そんな気分で飲む酒はどんな味だろうか。

そもそも僕は羽田空港を出た時点で既に誰も知り合いがいないのだけど。

 

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朝焼けの砂漠に風力発電

3日目に目覚めるとちょうど朝焼けだった。車窓は、地平線まで続く平らな砂漠に、無数の風力発電装置が屹立している風景だった。ひたすら規則正しく並ぶ風力発電のエリアを淡々と抜けてゆくと、いよいよ風景が無になる。

 

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何もない車窓

さて、いよいよ到着が近くなった。昨日仲良くなった車掌さんが、最後に連絡先を交換しようと言ってくれた。僕はwechat(中国ではLINEやfacebookは使えない)を持っていなかなったので、まずダウンロードしなければならなかった。しかし列車は電波が全然ない場所を走行中だ。そういうわけで、車掌さんとのお友達計画は、運悪く砂漠の真ん中に湧いてしまって涸れた小川のように、あっさり終了した。

 

敦煌に着いた。

 

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敦煌駅 「我的夢 中国夢」の標語は全国共通

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敦煌駅の駅舎

敦煌駅は立派だが町外れにあり、一部のタクシー勧誘を除けばかなり落ち着いている。そしてなんといっても、空気感が砂っぽい。

情報があまりなかったのだが、とりあえず駅前にいた中心地に行きそうなバスに飛び乗った。バスが出発すると程なく、世界遺産敦煌莫高窟の観光施設を通過していることに気づいたので、すぐに飛び降りた。

 

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莫高窟数字展示中心

敦煌莫高窟の観光は、「莫高窟数字展示中心」なる観光センターにまず行かないといけない。そこで料金(確か4000円くらいした)を払うと、まず莫高窟の歴史などを解説する短編映画やプラネタリウムのような全天球画像を見せられる。この映画が、大河ドラマか!という壮大なクオリティで見応え十分だ。音声はイヤホンで、日本語も対応している。

 

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開演前の全天球シアター ピンク映画かな?

壮大な事前学習が終わると、いよいよ莫高窟に移動だ。無料の送迎バスが頻繁に出ており、それに乗って砂漠の一本道を移動する。莫高窟に着くと、自分が日本人であることを係の人に伝える。すると、日本人(5人くらいいた)の集合場所を指示され、そこからは日本語のガイドさんがついて案内してくれる。*1

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莫高窟までの道のり 端的に砂漠

莫高窟は、崖に無数に開削してある横穴に、唐代、宋代、西夏王朝時代など様々な時代の仏像が鎮座している遺跡だ。仏像はそれぞれの時代で様式や美的価値観が異なるので、真面目に説明を聞いていれば次第に仏像を見るだけでいつの時代の作品なのか判るようになる。

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莫高窟

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莫高窟 ここが井上靖敦煌』の舞台だ

莫高窟見学の日本語ツアーが終わった後も、今度は併設の博物館や美術館などが待ち構えており、全部を真面目に観ているとそれだけで丸一日かかってしまうだろう。

 

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美術館 素朴でいい感じの絵画

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莫高窟はちょっとしたオアシスなので花も咲く

観光センターからまた郊外路線バスに乗ったところ、今度は中心街には近づいたのだが川沿いの変な場所で終点になってしまった。仕方ないのでそこからまた市内バスに乗り継いだところ、今度こそ予めとってあったホテルに着いた。

 

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ホテル至近の党河橋 砂を含む茶色い水とオアシスの澄んだ水を分けている珍しい川

中国西部に位置する敦煌では、21時くらいにやっと夕暮れとなる。夕暮れになれば、町の中心部にある「敦煌夜市」に行かなくてはならない。

土産物屋、フルーツ屋、そして露店の酒場がずらっと並び、あたりは内陸らしい熱気と羊肉を焼く香りがたちこめている。こうなると、もうビールをできる限りたくさん飲まなくてはならないのだ。

 

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敦煌夜市

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香辛料の量り売り

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酒…

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シルクロード風 〆のラーメン

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お土産作成中    精密な砂絵のドラちゃん??


0時くらいまでは露店で飲んでいられる。

 

~4日目~  砂漠登山、体調の悪化、新疆へ

 

明くる朝、昨日はどうやってホテルに戻ったのかあまりよく覚えていない有り様だったが、とりあえず無事に戻っていたからまあよかった。

敦煌を発つ前に、絶対に行きたかった場所がある。市内バスで行ける砂漠、月牙泉・鳴沙山だ。敦煌のオアシスの端、砂漠の景色を気軽に体感することができる場所だ。

党河橋あたりのバス停で待っていると「鳴沙山」行の市内バスが来るので、それに乗って終点で降りればよい。*2

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市内バスから オアシスが終わり砂山が迫る

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門    観光客たくさん

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砂と空

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砂と空

僕は自分のイメージを「砂漠」にすべく日々努力しているレベル(?)で砂漠に憧れているので、鳴沙山が近づいてきたときには大人げなく興奮してしまった。

 

さて、いよいよ砂山の頂上を目指して登山を始めた。ただの大きな砂の塊なので、もちろん決まった登山道はない。とりあえず挑戦してみたところ、これが思った以上に大変だ。砂は粒が細かく極度に乾燥して熱い。火傷してしまいそうだし、脚を取られて3歩進んで2.5歩下がる始末だ。ゴールは最初から目の前に見えているのに、結局登頂に1時間くらいかかった。

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これは辛い登山…

 やっと登頂して、市内で買ってあったコーラを飲んだ。人生で一番おいしいコーラだった。

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月牙泉

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Deuter AirContact 65+10L 大好きなリュック

Deuterの大型リュックはおすすめです。屈強なのに背負いやすいので。

だが、砂漠に来て問題も発生した。僕は東京にいても黄砂で気管支をやられ、いつも体調を崩している。そしてここは黄砂の故郷だ。僕は宿敵・黄砂の塊に喜んで登っていた。体調を崩さない理由はない。咽喉痛、鼻づまり、倦怠感、熱、ありとあらゆる「黄砂的」症状を発症してしまった。市内の薬局に行くと、養命酒のようなものを勧められたから買ってみた。(これが後で災難を引き起こす…)

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敦煌火車

敦煌火車站(バスターミナル)に戻った。ここから約130km離れた柳園というところまでバスで移動し、また夜行列車に乗る。朦朧とした意識で窓口で切符を買うと、「敦煌-柳園 豪華座席」と書かれた切符を渡された。ターミナルには大きな観光バスのような車両が待機しているので「豪華座席」に期待したのだが……柳園行だけはなぜかぼろいハイエースのようなミニバンだった。

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柳園行「豪華座席」バス

仕方ない。覚悟を決めて乗り込むと、バスはまた砂漠の中を淡々と走る。しばらくすると、道が未舗装(というかただの砂)になる。豪華座席は未舗装路を猛スピードで駆け抜ける。体調は最悪。瀕死だった。手持ち無沙汰でこっそり薬草酒を飲んだらさらに悪化した。

 

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柳園駅

なんとか気を紛らわせているうちに柳園駅に着いた。柳園は小さな町だ。

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柳園の小さな街並み

さて、ここからいよいよ新疆ウイグル自治区に向かう列車に乗車する。新疆*3は民族問題を抱えた土地なので、そこへ向かう列車の警備もひときわ厳しい。

 

柳園駅の荷物検査場で、僕が新疆へ向かう外国人であることがわかると、鉄道公安の「服務室」へ連行されてしまった。盾やらさすまたやらが置いてあるいかつい部屋だ。そこで、新疆に入る目的、滞在期間などを聞かれるのだが、残念ながら僕はそれに回答するだけの中国語力がないし、公安はそれを質問するだけの英語力がない。もはや行き詰まった感じになったところで、まあいっか、という空気でリュックの中を取り出して荷物検査が始まった。

そこで問題になったのが、さっき買った薬草酒だ。

公安「ノーポイズン??」

僕「まさか~。」公安「ポイズンじゃないなら、えーと、えーと、ここでhēしてみろ」「hē??????  えーとどういう意味だ………???」「ホワット?!?!?!  お前 hē できないのか!!!!!!!    やっぱりポイズンじゃないのか!!!!!!」「あ、もしかしてhē ってDrinkって意味か!!!!!!!」「そうだよ!!!!!!(怒) はよ hē しろ!!!!!!!」

というわけで僕はhēが「飲む」という意味だとわからなかった為に公安に怒られてしまった(「飲む」は yǐn 饮 しか知らなかった)……そして、薬草酒がテロに使われる毒でないことを証明するために、飲酒シーンを披露することになった。

減ってなくない?!?!?!などと疑われ、これではもはや質の悪い飲みサーの先輩だ。度数の高い酒を結構な量を一気飲みする羽目になり回ってしまった。全く恥である。この先セキュリティチェックの度に飲みサーごっこするのかと思うとうんざりした。

 

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ウルムチ行列車の到着

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いよいよ新疆ウイグル自治区

23時08分、定刻通りウルムチ行の列車が来た。はるか鄭州からやってきた2泊3日の夜行列車だ。新疆へ向けて、真っ直ぐの線路をまた淡々と進んでゆく。

*1:日本語案内ガイドは毎日11:00集合と14:00集合の2回のみ開催される。これが英語なら多分もう少し多く開催され、中国語は5分毎ペースで開催されている。中国語堪能な人はそちらに参加するのが早いだろう

*2:敦煌は『地球の歩き方』にも詳しいので、従っておけばだいたい間違いはない。

*3:「新疆」という呼称は、「新しい土地」を意味する漢民族パースペクティブに基づく。独立派は「東トルキスタン」と呼んだりするが、僕は浅薄な知識なのでどちらに与することもしたくない。ただ短くて便利なので、便宜的に「新疆」と記載する。

中国横断旅① (北京~敦煌)

最近は記事を書きたいという気持ちにならなかったのではてなを放置していたのだけど、せっかくアカウントがあるので、旅行の写真記録として活用しようと思う。

 

この夏に中国を横断する一人旅をした。シルクロードだ。

高校生のとき世界史の面白さにはまり、そのときになんといっても楽しかったのが中央アジア世界だった。例えば、難しい漢字ばかりの古代中国史を勉強していて突然ローマ風の名前が登場したり、古代インドの仏像の顔がギリシアの雰囲気だったり、奈良にはペルシャの宝物があったりする。広大すぎる中央アジア世界だが、いろいろなところに東西の接点を読み取ることができる。そういうの憧れるね…………というわけでいつか実際に訪れてみたいと、昔から思っていた。

日程、航空券のお値段、難易度などを考え、今回は中国の新疆ウイグル自治区を目指すことにした*1

そして、シルクロードやオアシス都市をしっかり体感するには、飛行機を使わずひたすら砂漠を走り抜いて到達した方がいいと思う。首都北京から夜行列車だけで中国西端のカシュガルまで移動してみることにした。全部で5000kmの大移動だ。

 

というわけで、こういう行程で行った。

 

8月8日 0日目:勤務終わり次第移動開始→20:05 羽田空港→ソウル 仁川空港 (空港雑魚寝)

8月9日 1日目:8:35 金浦空港北京首都国際空港北京市内散歩、20:45 北京西站発→快速列車K41次 敦煌行に乗車 (列車泊)

8月10日 2日目:K41次車内で過ごす (列車泊)

8月11日 3日目:8:11 敦煌站到着、敦煌郊外観光 (敦煌ホテル泊)

8月12日 4日目:敦煌市内散歩→18:00敦煌火車站→路線バス→柳園、23:08 柳園站発→特快列車T197次 ウルムチ行に乗車 (列車泊)

8月13日 5日目:8:29 ウルムチ站到着、ウルムチ市内散歩、23:07 ウルムチ站発→快速列車K9786次 カシュガル行に乗車 (列車泊)

8月14日 6日目:20:00 カシュガル站到着 (カシュガルホテル泊)

8月15日 7日目:カシュガル市内散歩 (カシュガルホテル泊)

8月16日 8日目:カシュガル市内散歩→23:00頃空港へ

8月17日 9日目:1:30 カシュガル空港→北京空港→13:40 ソウル 仁川空港、ソウル市内で飲酒、22:35 仁川空港

8月18日 10日目?:0:55 羽田空港

 

 

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国鉄道地図。太字の線を走った。

計11日間の行程で3泊しか宿に泊まっていないのは一人旅でないとなかなかできない。ただ、中国の夜行列車は快適だし、捨てがたい旅情がたっぷりなので是非活用してみてください。

 

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 ~0日目~ 日本出発

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羽田空港で日本にお別れした

アシアナ航空が遅れ、お詫びの1000円券をくれたおかげで羽田空港でタダ酒を飲むことができた。

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今回行くあたりの地域について井上靖が小説を書いている。旅行中暇になったら読んだ。

なかなか飛行機が来ないので読書した。読書していたら飛行機が来たので乗った。深夜に仁川空港に着き、雑魚寝した。空港内には簡易ホテルもあったが大行列だった。

 

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~1日目~ ソウル、北京、夜行列車

仁川空港のATMでキャッシングがうまくいかず、空港間移動の切符が買えなくて焦ったがまあなんとかなった。眠かったのだが気づいたら北京に着いた。

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天安門広場

夜行列車まで時間があるので北京を散歩したり食料の買い出しをしたりした。有名な天安門は意外にも無料で入ることができる*2

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王府井周辺のよくわからない食堂

行きたかった王府井小吃街は工事中で閉鎖していた。残念。小籠包はかわいい。

 

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これは有名店の北京ダック

地下鉄前門站の全聚徳本店は北京ダックの超有名店でいつも混んでいるのだが、とにかく信じられない美味しさなので、北京に来るたびに行ってしまう。ランチセットで200元くらいだったと思う(忘れた)。

 

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煤市街

路地裏は楽しい。

 

昼ごはんを2回食べたり、公園でぼけっとしたりしているうちに夕方になったので、いよいよ移動を開始する。西域へ向け、まずは北京西站へ地下鉄で向かう。

 

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大きな大きな北京西站

北京西站に来た。めちゃくちゃでかい。中国の長距離鉄道駅は日本と全く仕組みが違い、券売所、出発口、到着口が全て分かれている。空港のように、どんなに遅くとも出発の1時間前には駅に着いていたい。

 

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北京西站の構内 コンビニ、食堂やマックとかもある

荘厳な駅だ。何番線まであるのだろうか。

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出発案内

出発案内に、これから乗車する K41次 敦煌行が表示されている。指示通り、2階第4待合室で出発を待つ。

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蘭州牛肉麺

やっぱり待合室でじっと待ってはいられなかったので駅の食堂に来た。なんと蘭州牛肉麺があった。蘭州牛肉麺は中国で大ブームになったようだ。美味しい。

 

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待合室

少し遅れ、いよいよ出発時間。改札口へ向かう、人ごみ、喧噪、押しあいへしあいのチャイナパワーに敗北した。

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25G型客車

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いざ!


なんとか改札戦争が終わりホームに移動すると、これから2泊3日乗車する車両が見える。距離2586km、所要時間36時間21分の長旅だ。興奮ではち切れそうだった。

 

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硬臥車

中国の一般列車には、硬座(2等座席)、軟座(1等座席)、硬臥(2等寝台)、軟臥(1等寝台)の4種類がある。今回は硬臥中段にした。敦煌まで480元。

布団は清潔で、「硬臥」というほどベッドは硬くないし、問題なく寝られる。ただし、カーテンがないのでプライバシーは日本より薄い。

 

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車内でたくさん飲んだ

せっかくなのでビールを飲みまくった(3本で足りなかったので車内販売のビールも買った)。

そういうわけで長い1日目が終わったので寝た。

 

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~2日目~ 敦煌行の列車にて

 

この日は敦煌に向けて列車に乗るだけの日だ。日中、内モンゴル自治区のフフホト、包頭、銀川などを通る。

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寝台列車の朝

昨晩は飲みすぎたが、起きたら二日酔いではなくて安心した。

ところで僕のいた6人のコンパートメントは満席だった。もちろんみな中国人で、お互いに談笑している中、自分だけが中国語を解さず、明らかに浮いている。会話に混じれないので少しふさぎ込んで寝ていたのだが、実は中国人たちの一人は、英語を話す人だった。彼は僕と同い年くらいで、北京の工科大学に通う学生らしい。彼の通訳と紹介で、僕は皆に簡単な自己紹介をした。

 

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食堂車の朝ごはん  微妙な味

彼は、いわゆるオタクだった。少しぽっちゃりで、ひたすらニンテンドーswitchで遊んでいた。そこで僕も彼と対戦した。互いに大した英語力もないが、盛り上がって冗談のようなことも言った。そのうち、英語で大騒ぎする僕らを怪訝がって、隣のコンパートメントの乗客や車掌さんまで様子を見に来るようになった。

 

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フフホト駅  縦書きの文字が併記されている

オタクはそのたびに中国語で僕を紹介してくれた。彼の紹介で、車掌さんと仲良くなった。車掌さんも僕らと同い年の女性で、美人だった。翻訳してくれるオタクと合わせて3人の奇妙なサークルが出来上がった。

 

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車窓

車窓はひたすら草原の景色だ。

 

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車内

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よく話した…

同じコンパートメントにいた聡明な小学生と筆談した。漢字がわかれば、筆談ならある程度はわかる(??)。

 

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ゴビ砂漠の始まり

夕方、銀川を過ぎると、次第に乾燥した不毛の景色に変わる。

オタクは銀川で降りてしまった。これまでの会話はほぼ全て彼の翻訳で成り立っていたので、僕はそのことに対し不安になった。彼は最後に握手を交わし、「いつか銀川にも来るといい。銀川に来るときはマスクを忘れないように。」と謎めいた別れの挨拶をした。寂しかった。彼はswitchばかりやっていたが、switchは僕の方が断然強かった。なぜか今でもそのことが忘れられない。

 

そして、いよいよ砂漠に足を踏み入れる頃には、この列車は2回目の夜を迎える。

 

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またビールを飲む。ビールはいつでも飲む。暗くて何もわからないが、どうやら列車はもう砂漠の真ん中を走っているようだ。22時ごろ、さっきの車掌さんが通りかかって、ものすごく下手な発音で「スリープ!」と言った。だから寝た。

 

3日目に続きます。

 

 

 

*1:少なくとも僕は新疆でウイグル自治区怖い目には一切遭わなかった。とはいえ今、その地域が民族問題や人権問題を抱えていることは言うまでもない。あまりに無思慮・無遠慮なまま行くべきところではないと思う。また、中国本土に一切行ったことがない人がいきなり新疆に入るのも、あまりおすすめしない。

*2:中国の観光地は物価に比べて割高だが、共産党肝入りの場所はわりと無料で入ることができる。公費が投下されているのだろう。

精神疾患と詐病

 

偉そうに意見しているっぽいけど実は何も勉強していない。

 

ちょうど1年くらい前、何か重大な不幸があったわけでもないのだけれど、なんだか生きる気力的なものがなくなってしまって、休日は一日中寝ているような状態、でも頑張って誰かに会いに行くと意味不明なくらい楽しくなってしまい それはそれで相手方に非常に迷惑という感じで、自分本人としても 周りの人に対しても結構困ったことになっていた。(その後治った。)

 

そんな日々へ、オウム死刑執行のニュースが来た。死刑制度自体がこの上なく恐ろしいことだが、今回はさらに恐ろしい死刑だった。その執行は「劇場型死刑」などと批判された。情報がリークされたのだか知らないけど朝から報道局が拘置所に詰めかけたらしいとか、某放送局は死刑囚の顔写真に、執行されると×印のステッカーを貼ってそのことを速報で知らせたとか、元号が替わり祝賀ムードになる前に執行したかったのではないかとか、何かと怖く、ねじ曲がった勧善懲悪の薄暗い喜びがあり、最悪だった。(そして令和になった今、思い通りそれらはあっさりと忘れられてしまったようだ)

とにかく、この一連の執行劇があって、より一層無気力が進行してしまった。

 

溢れかえる報道の中で、気になったのが「麻原は詐病使いだったのではないか」ということだった。つまり彼は、意味不明の供述をする、挙げ句誰に対しても沈黙を通すなど、精神的な病を患っているように見えるが、これは死刑を避けるためにわざとやっている「詐病」だったのではないか、というわけだ。それも世間を賑わせていたが、自分には断然よくわからなかった。

 

「病を装うこと」自体は、学校や会社をさぼりたいので風邪のふりをするとか、まあある意味で日常に溢れていることだ。しかし、精神疾患についての詐病とは、一体どういう状態を指すのだろうかと考えると、よくわからない。身近にも、仕事で追い詰められて病院から診断書をもらった人に「あいつは労災認定を受けるために鬱病の診断書をもらったのではないか」、などと陰口をいうという嫌な話があるが、本当に鬱病だったのかどうかという話題の前に、本当の鬱病とは一体なんなのか、それは労災認定という実務的な処理と切り離して考えることができるのか、ということが気になるのだ。

例えを戻して、囚人が、自らに刑(危害)を加えようとしている刑事などに対しては精神病的に振る舞い、支持者に対しては一変普通の態度をとっていたとしたら、やはり彼は詐病だったということになるのか?考えてみると、それさえも自明ではないと思う。その振る舞いの豹変自体を病として評価できる可能性が理屈としてはあり得ると思うからだ。しかし本当にそのような評価をし得るなら、話が無限後退してしまう気配がある。

では一方で、去年の自分は、本当に(軽度の)鬱病状態だったのか?病院に行ったわけでもないのでその評価を知るはずもないが、その「症状」を経験した本人として、それが少なくともかなり辛い状態であったことは、一人称的に閉じた感覚の範疇でなら、嘘ではなく断言できる。(もちろん、その信憑性は別問題だ)

 

このような一人称的な感覚の不具合だけを根拠として精神疾患を定義してしまうと、どれだけ「詐病であることが確からしい状況」でも詐病はあり得ないことになる。激しい外的な苦痛(肉体的な問題の発生、近親者の死など…)を受けたように見受けられる人と、直観的にさぼりのための詐病に見える(仕事のときだけ都合よく体調を崩すなど)人を、完全に同列に扱うのは効果的だろうか?また病はどこまでも私秘的なものに後退し、その診断があまりにも難しすぎる。さすがにそれも不都合があるだろう。

「君はただ仕事に行きたくない、嫌いな人に会いたくないだけで、病気でもなんでもない」と専門家に言われたとしたら?私はどう反論すべきなのだろうか。

 

では逆に、体重が減るとか脱力しているとか、あるいは脳内で特定の物質が分泌されていないとか、そういった物理的な条件が基準となって定義するのがよいのか?鬱病に対して投薬治療をしたり、昔のかの空恐ろしきロボトミー手術はこの発想に基づいているはずだ。しかしこの場合は、例えば患者が長年酷い環境下に置かれ、辛い精神状態を訴えたような場合でも、特定の物質の分泌低下などが認められなければ病ではないことになるのか?直観的には、それもあまりよい解決策には見えない。

 

それならもっとプラグマティック(?)に、治療に注目した考え方もあるだろう。病自体を定義するのではなく、患者のある不都合な状態Aを治し得る手段がBかCであるような場合、Aを精神疾患とする、しかし手段がDならば(例えば)それは心臓病だし、Eならば歯周病だ、みたいに定義することもできそうだ。しかしその場合、詐病の扱いはどうなるのだろうか。よくわからない。第一、最近では治療とはなんなのか。国が勝手に定めた方針のもと、望まぬ「治療」を受けさせられてしまった人たちがいて問題になった(※これを書いた頃は障碍者への不妊治療が問題になっていた)。直感に反し、「治療」という行為は必ずしも患者の意思に対してプラスに働くことになるとは限らないようだ。治療が成功するということは、どういうことなのか。それはかなり多義的であるように思う。

 

あるいは極論、例えば精神疾患は文化的な共同幻想でしかないため、実在しないという主張もありそうだ。「心」自体が実在しないという主張は哲学では全く異端ではないので、そうすると実在しない心に対する疾患も当然実在しないだろう。しかし僕は大学でいろいろ見聞きした結果、心はまぁあるんじゃないかなと考えているので、議論に無知なままこれにいくのは嫌だ。

 

精神疾患とその治療、精神疾患と障碍の違い、などについては、哲学的な議論があり、専門書もたくさんあるようだ。多分、もっと単語を慎重に丁寧に使い分けなくてはいけないのだろう。いろんな意見を知りたくなってきた。勉強してみたい。

 

 

 

『深い河』は目的論的すぎると思う

 

https://newmasterpiece.bandcamp.com/album/the-trip-that-nothing-learns

 

最近再び、生活の中のインド成分が濃くなってきておる。インドカレー屋に行く頻度が上がり、自分でもナンを作ろうとして焦がして失敗、インド映画を何本か観た。もちろん王も称えた。

その一環で、遠藤周作の『深い河』を読んだ。バラナシとガンジス河の物語だ。

 

『深い河』を読んだことがある人は、どういう感想を抱いただろうか。僕は全く納得いかなかった。

大変ざっくりと話の内容をまとめると、日本人たちがバラナシへ向かうツアー旅行に参加する。彼らはそれぞれ、過去に苦悩や特別な感情を残してきてしまった。彼らは過去に、愛妻を失ったり、戦争で傷を負ったり、特に何というわけではないけどもやもやした感情を抱いたりした。彼らがガンジスのほとりに立つとき、その心象は変容し、或いは解決してゆく………というのが大体のあらすじだ。

 

しかしまず気になったのは、それぞれ「○○の場合」という章で語られる主要人物(=複雑な内面を持った人物)は、ただ一人を除き男性、それもほぼ中高年男性であることだ。

ツアーに参加するモブキャラのオバサンたちは、インドの汚さに文句をたれまくり、買い物に右往左往するばかりでガンジスに近づこうとさえしない。内面のない浅薄な人物たちだ。準モブキャラの新婚若夫婦は、夫は強烈な構図を撮ることしか頭にない身勝手な写真家の卵という人格で、最後は身勝手すぎてガンジスの河岸をインド人につまみ出される。妻に至っては新婚旅行はヨーロッパがよかったと言い続けるだけで「インドの魅力」をわかろうともしない。

 

この書き分けには女性蔑視的なものも感じてしまうのだが、まあそれは置いておくとして、「内面のある人物」がガンジスから何かを享受しているのと対照的に、「浅薄な人物」がガンジスから拒絶されているような書き方は、僕がバラナシという街に行った印象から程遠いものだった。実際のガンジスのガートは、人間に内面もなにも気にしていられるものではなく、巡礼者、詐欺師、アホ外国人旅行者、牛、犬、汚物、死体、洗濯物、軍人、凡人、全ている。だからこそあそこは凄いのに。あそこにいる詐欺師にもアホにも死体にも、やはりなにか深い内面があるかも知れないし、そうと見せかけてやはり何もないかも知れない。そこに凄みがある。

 

 

例えばマニカルカーガートは、有名な露天火葬場だ。死体が運ばれてきて、目の前で焼かれる。やはりそれは衝撃的な風景だ。バラナシを描いた作品でこの場所が登場しないことはほぼないのではないか。『深い河』でも重要な意味を持つ場所だ。

そのマニカルカーガートはバラナシの中でも特に混沌としている。遠藤周作はその混沌の中に何か宗教的な畏怖を感じて、それがあの作品の骨格になったのかもしれないが、畏怖しているどころではないくらい混沌としている。『深い河』の世界観とは違い、そこには「内面のない人物」も「浅薄な人物」も共存していると思う。

僕があそこで火葬を眺めていたときは、喪主の息子らしき人が遺体が首尾よく燃えだしたことを確認すると暇そうにスマホをいじりだして、わりと衝撃を受けた。まぁそんなもんかな~、とも思った。その後いかさまガイドに終始つきまとわれて大変だった。前日ハッパをやったという日本人が「めっちゃ二日酔いです……」と話しかけてきた。彼はガンジスに直接ゲロしたらしい。最低だけど笑える。かと思えばちゃんと、真剣に祈りを捧げたり、家族の死を悼んで泣く人もいる。わけがわからない。

ガンジスは、敬虔なヒンドゥー教徒も、ゲロ吐いてる日本人も受け入れているのだ。ゲロ日本人は思慮の浅さの極限のような存在だが、ちゃんと神聖なるガンジスに存在している。

 

『深い河』のガンジスは、遠藤周作の描きたかったことに寄り添いすぎている。そのガンジスは、目的論的すぎる。

遠藤周作は、自分の中にあるキリスト教的な問題意識が強すぎて、街への眼差しは色眼鏡を通しすぎていたのではないか?彼がバラナシに行くには事前から明確な理由がありすぎて、極端にいえばそれに沿った眼差ししか持ち得なかったのではないか?『深い河』は、彼がガンジスを見る前に大方筋が決まっていたのではないか?実際のガンジスは、それを風景で彩る添え物に過ぎなかったのではないか?そう思えてならないのだ。

 

なんでこんな長文になってしまったのか、敷衍すれば結局のところ、旅って何のためにやっているのだっけということの認識について、遠藤周作とは全然意見が合わなかったということな気がする。

僕は、旅は必ずしも、予め心の中に用意した空白をパズルのピースのように嵌めて埋めるという行為だとは思わない。心に空白がなくても、ちゃんと旅はできる(あってもできる)。

心に空白を持つ人が旅でそれを補完できるのならそれでよいけれども、それが唯一の旅の正解ではない。旅に出たことで逆に空白地帯ができるかもしれないし、何の準備もなく知らない場所に行って結局何も得られないこともあるだろう。それの何が間違っているのか。インドまで来て買い物に奔走するオバサンの何が間違っているのか。それを見下す権利が誰にあるというのか。

 

仮に僕が『深い河』の登場人物なら、さしずめ思慮の浅い写真家の卵というところだろう。小説では思慮が浅すぎてインド人にリンチされそうになったところをうまく逃げて反省もしないというクソ野郎の人格だが、クソ野郎もクソ野郎なりの旅をして、深い心の空白を抱えた人と同等にガンジスに立つ権利がある(迷惑をかけてはいけないけれども)。神聖でありながらクソ野郎にもその権利を与えるからこそ、逆説的に、遠藤周作も僕もガンジスに惹かれるのではないかと思った。

 

ガンジスについて考えていたら腹が痛くなってきた。

 

 

変な時間に旅を始める

 

 

旅の面白さはいろいろあり、ひとつに決めたり定義する必要は全くないけど、「何気なく非日常を味わうことができる」のが大きいと感じる。

しかし、ただ非日常を味わうだけならより強烈である方がよいということになってしまい、プロレス観戦、バンジージャンプ等々、もっと直裁的な非日常もあるが旅の場合はそうではない。あくまで何気ないのが面白い。

遠い街に行ってスーパーの食料品売り場に行くとか。バス乗り場を探すとか、列車を待つとか、散歩するとか。

 

でも大袈裟にいえば、旅の中で最も何気ない非日常っぽい瞬間は、出発の時間であるかも知れない。旅を始めるということは、毎日飽きるほど見ている景色の意味合いをがらっと変えてくれる。普段の景色、学校や会社と家とを結ぶだけ道や線路が、遠い街へ通じるものとして意識に立ち現れる。それは何ともいえずわくわくすることだ。

 

そう考えて(もっと合理的な理由もあり)、最近凝っているのが「変な時間に出発する」ということだ。夜中、早朝、通勤ラッシュなど。

 

例えばこんなことをした。

去年、ちょっとしたタイミングで木曜から4連休があり、伊豆諸島に行った。前日、普通の水曜に仕事用の鞄の他に60Lのリュックを担いで出勤し、18時頃に表参道で仕事を終える。外苑の銀杏並木を横目に青山一丁目まで歩き、平日の帰宅ラッシュの大江戸線で大門まで行く。22時頃に竹芝桟橋より八丈島へ行く夜行船に乗った。ほんの数時間前には普通に仕事をしていたのに、今は残業で光るビルや慌ただしく車が行き交うレインボーブリッチを横目に甲板でだらだらとカップ麺&ビール、という状況がただただ面白かった。「明日起きたら八丈島にいる」という状況自体が嬉しかったのだ(翌日には大嵐で酷い目に遭うことは、この時まだ知らない)。

この時、もちろん夜行船が主な思い出となるわけだけれど、その前の大江戸線もなぜか忘れられない。飽き飽きした日常とは違う意味合いとしての、離島へ繋がる存在としての大江戸線がそこにはある。

他にも平日の帰宅者で大混雑の浅草線と京成を終点まで乗って成田空港からベトナムに飛んだり、真夜中に家を出て上野駅の漫画喫茶に泊まり、日の出前の東北本線始発で北海道まで各駅停車で行ったりした。どれも変な時間の出発だった。

 

変な時間の街は、なんとなく普段と違う姿を見せてくれる。

終電で出発すれば、乗り慣れた通勤電車で酒臭いサラリーマンが(それは普段の僕でもあるのだが)あまりにもくだらない話で盛り上がっているし、始発で出れば、謎めいた感じのバンドマンがギターを担いだまま座って寝ていたりする。面白い。笑う。旅の始まりに相応しい景色だ。

帰宅ラッシュの時間に出れば、それこそ普段と何も変わりはない窮屈な東京だけど、何か特別な感じがする。さっきまで自分も普通に働いていた東京の景色が、不思議に違って見えてしまう。

 

行楽シーズンのゴールデンタイムに出発するのも楽しいものだ。でも変な時間に出てみると、ありきたりの日常が変質してゆく。ときには「本当に」違う姿を見せてくれるし、そうでなくとも、旅行者の視点では十分に新鮮な景色に変わるからだ。それを噛み締めたい。