色とりどりの棒

わかりたい

変な時間に旅を始める

 

 

旅の面白さはいろいろあり、ひとつに決めたり定義する必要は全くないけど、「何気なく非日常を味わうことができる」のが大きいと感じる。

しかし、ただ非日常を味わうだけならより強烈である方がよいということになってしまい、プロレス観戦、バンジージャンプ等々、もっと直裁的な非日常もあるが旅の場合はそうではない。あくまで何気ないのが面白い。

遠い街に行ってスーパーの食料品売り場に行くとか。バス乗り場を探すとか、列車を待つとか、散歩するとか。

 

でも大袈裟にいえば、旅の中で最も何気ない非日常っぽい瞬間は、出発の時間であるかも知れない。旅を始めるということは、毎日飽きるほど見ている景色の意味合いをがらっと変えてくれる。普段の景色、学校や会社と家とを結ぶだけ道や線路が、遠い街へ通じるものとして意識に立ち現れる。それは何ともいえずわくわくすることだ。

 

そう考えて(もっと合理的な理由もあり)、最近凝っているのが「変な時間に出発する」ということだ。夜中、早朝、通勤ラッシュなど。

 

例えばこんなことをした。

去年、ちょっとしたタイミングで木曜から4連休があり、伊豆諸島に行った。前日、普通の水曜に仕事用の鞄の他に60Lのリュックを担いで出勤し、18時頃に表参道で仕事を終える。外苑の銀杏並木を横目に青山一丁目まで歩き、平日の帰宅ラッシュの大江戸線で大門まで行く。22時頃に竹芝桟橋より八丈島へ行く夜行船に乗った。ほんの数時間前には普通に仕事をしていたのに、今は残業で光るビルや慌ただしく車が行き交うレインボーブリッチを横目に甲板でだらだらとカップ麺&ビール、という状況がただただ面白かった。「明日起きたら八丈島にいる」という状況自体が嬉しかったのだ(翌日には大嵐で酷い目に遭うことは、この時まだ知らない)。

この時、もちろん夜行船が主な思い出となるわけだけれど、その前の大江戸線もなぜか忘れられない。飽き飽きした日常とは違う意味合いとしての、離島へ繋がる存在としての大江戸線がそこにはある。

他にも平日の帰宅者で大混雑の浅草線と京成を終点まで乗って成田空港からベトナムに飛んだり、真夜中に家を出て上野駅の漫画喫茶に泊まり、日の出前の東北本線始発で北海道まで各駅停車で行ったりした。どれも変な時間の出発だった。

 

変な時間の街は、なんとなく普段と違う姿を見せてくれる。

終電で出発すれば、乗り慣れた通勤電車で酒臭いサラリーマンが(それは普段の僕でもあるのだが)あまりにもくだらない話で盛り上がっているし、始発で出れば、謎めいた感じのバンドマンがギターを担いだまま座って寝ていたりする。面白い。笑う。旅の始まりに相応しい景色だ。

帰宅ラッシュの時間に出れば、それこそ普段と何も変わりはない窮屈な東京だけど、何か特別な感じがする。さっきまで自分も普通に働いていた東京の景色が、不思議に違って見えてしまう。

 

行楽シーズンのゴールデンタイムに出発するのも楽しいものだ。でも変な時間に出てみると、ありきたりの日常が変質してゆく。ときには「本当に」違う姿を見せてくれるし、そうでなくとも、旅行者の視点では十分に新鮮な景色に変わるからだ。それを噛み締めたい。