色とりどりの棒

わかりたい

阪神高速14号高架橋

通天閣を抜けて、北側から南へとアーケードに入る。

さっきまで溢れそうなほどいた観光客はうそのように消え、カラオケ付き居酒屋からヴィブラートの利きすぎた下手な歌声がこだまし、どこからともなく不思議なにおいがしてくる。大阪には至るところにアーケードがあるが、山王のアーケードは明らかに雰囲気が違う。少し緊張して、せき立てられるように歩く。しばらく行ってから左に曲がれば、両脇には提灯が並び、桃色の光がぼうっと光っている地帯だ。遂に来てしまった。

一方、大阪阿部野橋駅から西方向に入ろうとすると、それは突如現れる。綿密な都市計画に基づいて最近建てられたのであろうマンション群の坂を下ると、いきなり視界が開ける。なんの前触れもなく、いきなりそこにたどり着いてしまうのだ。あまりの唐突さに、お互いの区画がもう一方の区画を決定的に無視し、存在をなかったことにしているようにさえ思える。

 

花街に入ると、いろいろなものをなかなか直視できない。料亭のひとも、道行くひとも、なにか目があってはいけない気がした。呼びの甘い声(しばらく耳に残りそうだ)、どこからともなく聞こえる15分タイマーの音………自分がここを歩いていても不思議ではなく、いやむしろ充分ここにいてしかるべき部類の者だということを、強く意識させられる。滑稽すぎだ。あの隙のない笑顔、その時どんな気持ちなんだろうか………。

ガンジス河がバラナシの喧騒を静かに見守っていたように、阪神高速14号線の高架橋が花街を見守っている。けれども高速の高架橋は、街の中心を貫きながら街の営みとは全く関係性を持たない。ただ、そこを貫くだけなのだ。高速道路を車で走っているだけでは、下の街がどういう街なのか、まず気づくことはないだろう。そこにも断絶があるのだ。

 

それで100mくらい歩いたらなんかへとへとになってしまって、普段ならまず買わない甘い缶コーヒーを買って高架橋の下で飲んだ。それからすぐ帰ってしまった。それで予定どおりだ。ここで1万円を使う15分間が、一生来ないといえるだろうか。よくわからない。