色とりどりの棒

わかりたい

脱毛脅迫

 

秋はよい季節だが、今年秋になってよかったことのひとつは、夏が終わって某脱毛サロンの広告がめっきり減ったことかも知れない。あの広告、かなり怖かったと僕は思います。

 

例の広告には「男性はうなじに弱い、女性はうなじに甘い」みたいなコピーがあったが、それが脱毛の広告である以上、用はうなじもしっかり脱毛しないと男にモテないよということなのだろう。僕は男性なので広告の直接的なターゲットとはなっていないわけだがそれでも、なにかと勝手に決めつけてんじゃねーよ、と思う。しかもその決めつけは、いつの間にか暗黙の前提ともなっている。つまり「女性のうなじは脱毛してあるべきで、それに男性は惹かれるのだ」という前提。主語は巨大で述語は随分お粗末な前提だ。そして、そういう暗黙の前提を消費者が理解して初めて、あのコピーは広告として機能するのだ。広告の文脈を理解するのに必要な前提を、「当然のこと」としてうまく有利に底上げしているという意味では、よくできた仕掛けだなあとも思う。

 

脱毛ということ自体には好感も嫌悪もないし、もちろんこれは脱毛の話でも異性の身体の話でもない。しかしとにかく、あの広告は「男性」「女性」といった巨大な単位での十把ひとからげ・それに対する無神経な決めつけが可愛い装飾によってマイルドな体裁をとっただけの、それなりの脅迫文であったように僕には思えるのだ。しかも「女性の身体的特徴が男性から見てどうなのか」という、ジェンダー的に警戒信号なコピーが平気で公共交通機関の車内に貼られているという状況も、またなんとも苦々しいことだ。

広告はときに巨大な力を持つのだから(自分が広告業界の内実を垣間見るようになったので最近ますますそう思う)、その辺はシビアにならないといけないはずなのだ。某発泡酒のCMのようにあからさまにやらかしたやつでなくても、気味の悪い広告は本当にあちこちにある。一体どういうことだと思う。どういう顔をしながら創っているのか見てみたい。

 

とはいえ、こういう内容を男性として書くのはけっこう難しい。しかも自分は社会にも社会学にもジェンダーにも、まだまだものすごく無知だ。だからかなり的外れなことを言っているのかも知れない。

しかし気味の悪さを感じることは、その問題圏に対して無知であることとは別に関係がない。僕はあの広告が嫌だった。とりあえずはそれだけだ。