色とりどりの棒

わかりたい

「強い表象主義」界隈について その一

  

山口先生の『クオリアの哲学と知識論証―メアリーが知ったこと』は、卒論の時にも引用させていただき、なぜか卒業してから遅すぎる購入、以降わかり砂漠©が出現するたびに読んできた楽しい本なのだが、ここへきて本格的に何もわからなくなってきたので、わかりたい。

わかった後の目標としては、能力知ついての第七章・(新)ジャクソンの表象主義についての第八章の感想がいいたい。ではなぜいいたいのかというと、結局タイプA物理主義がなんぼのものなのか知りたいからだ。というわけでまず議論内容を追いたいと思う。ここでは第八章第三節(pp201-220)まで。

 

心の哲学の有名すぎる思考実験「メアリーの部屋」の文脈において、チャーマーズ式の便利な分類でいう「タイプA物理主義」へと転向した(新)ジャクソンは、表象主義を採用することで(旧)ジャクソンに立ち向かっていくのだった。

では(新)ジャクソンの表象主義とはなにか。

心的状態のなかでも、「態度」というカテゴリーについては、「信念の本性は表象的性格であり、表象的性格は機能主義的に規定される」という(広義の)物理主義的な説明が既に確立されつつある。この説明を、「知覚」「感覚」といった、目下(その現象的側面の問題を伴って)問題となっている他のカテゴリーにも完全に適用することができれば、つまり知覚・感覚についても機能主義的説明はその本性を余すことなく汲み取れるということで、今回の目的は達成される。これを証明するのが表象主義に即した(新)ジャクソンの仕事である。

 

仕事をするにあたって、まず彼は、「最小の表象主義」「強い表象主義」「透明性テーゼ」という道具立てを用意する。やりたいことを先取りしていってしまうと、「透明性テーゼを使って、最小の表象主義から強い表象主義を導く」ということらしい。

なお最小の表象主義とは、「対象を表象しない心的状態はない」ということであって、逆にいえばある心的状態には非表象的な要素が含まれることを否定しない(p209)。そして最小の表象主義は、多く立場の哲学者が認めるものであるらしい(…本当にそうなのだろうか。ここの註にはブロックが強力な批判者であることがわずかに仄めかされているが、それは一体どんな議論だったか忘れた。この辺りは砂漠地帯)。その際、もし実際に知覚や感覚の表象内容の中には非表象的な要素としての「クオリア」が存在しており、かつクオリアは機能的な分析の範疇から逸脱しているのだとすれば、表象主義によるタイプA物理主義は端的に失敗している。したがって、最小の表象主義は新ジャクソンが旧ジャクソンに対抗するという目的を達成するのに十分ではない。

一方で強い表象主義とは、「心的状態とは完全に表象的である」ということであって、要は心的状態の構成において、非表象的・現象的要素としてのクオリアの類などないということだ。これならタイプA物理主義としての目的は達成される。

 そういうわけで、ジャクソンは最小の表象主義から強い表象主義を導かなければならない。そこで使われるのが「透明性テーゼ」だ。透明性テーゼは、著者によれば「心的状態が主体へ提示するものは、この状態の対象の性質である」(p213、太字は本来ルビ)ということである。

ちなみにここでいう「対象」の説明として、ジャクソンは3つのオプションを用意している。それは、素朴実在論的な帰結をもたらす「時空的対象」説・非表象的な心的存在を心的対象と見做す「センス・データ」説・物的対象そのものではなく、表象されるあり方(事)が対象であるとする「志向的対象」説だ。どれが正しいのかの議論は本筋から逸れるわけだが、とりあえずジャクソンの議論を追うために「志向的対象」を正統的見解とする(ここも砂漠だったが後に説明があった)。

 

ともあれ以上の道具立てが揃ったところで、ジャクソンによれば、最小の表象主義と透明性テーゼを組合せて用いると、「心的状態の対象は志向的対象である」という中間結論が帰結するらしい。さらに中間結論と透明性テーゼを再び用いると、強い表象主義が帰結するという(p217)。確認したとおり、強い表象主義はかの思考実験における二元論的な(そして物理主義者にとっては奇妙な)帰結を拒否できる。めでたい。

しかし著者によれば、帰結には賛同するものの、議論の道筋はいまいちである。いまいちすぎるのである。というのも、この論証がいかなる論理形式・推論規則を用いているのか、よくわからないからだ。そういう論証は駄目なのだ。だから、著者はオリジナルな別の論証で強い表象主義を支持したいと思っている。第四節以降では、山口先生流の論証で強い表象主義が正当化されてゆく。

 

という理解でよいのだろうか。

本当は第四節以降も書こうと思ったのだが、夜が明けて日が昇ってきた。いみじきことだ。