色とりどりの棒

わかりたい

(台風で)「経験すること」を経験したい

 

 

今日(2018年8月8日)の東京には南から台風が接近しており、朝から結構な荒れ模様でテンションが上がっている。今後の進路が気になるので気象庁のHPを見てみたところ、今回の台風14号は「サンサン」という名前なのだそうだ。可愛い。

 

何を今更そんな当たり前のことを、と思われたら申し訳ないのだけど、台風の名前ってどのように決まるのか知っていますか?僕は知らなかった。

気象庁のHP(https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/typhoon/1-5.html  閲覧日は2018/8/8) にこんな説明がある。

 

台風の番号の付け方と命名の方法

 

[略]

 台風には従来、米国が英語名(人名)を付けていましたが、北西太平洋または南シナ海で発生する台風防災に関する各国の政府間組織である台風委員会(日本含む14カ国等が加盟)は、平成12年(2000年)から、北西太平洋または南シナ海の領域で発生する台風には同領域内で用いられている固有の名前(加盟国などが提案した名前)を付けることになりました。

 平成12年の台風第1号にカンボジアで「象」を意味する「ダムレイ」の名前が付けられ、以後、発生順にあらかじめ用意された140個の名前を順番に用いて、その後再び「ダムレイ」に戻ります。台風の年間発生数の平年値は25.6個ですので、おおむね5年間で台風の名前が一巡することになります。

 なお、台風の名前は繰り返して使用されますが、大きな災害をもたらした台風などは、台風委員会加盟国からの要請を受けて、その名前を以後の台風に使用しないように変更することがあります。また、発達した熱帯低気圧が東経180度より東などの領域から北西太平洋または南シナ海の領域に移動して台風になった場合には、各領域を担当する気象機関によって既に付けられた名前を継続して使用します。[略]

 

知らなかった。

台風の名前は、規則正しく循環していたのだ!知らなさすぎた。それから、大きな災害をもたらした台風はその名前を封印されるというのも知らなかった。国家を滅茶苦茶にした暴君が、その死後は二度とその名前を口にされない……的なものなのか。

 

そして、その名前も、このようにいろいろで面白い。(上記のHPを編集してみたけど見にくかった)

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■日本

日本由来の名前は「ヤギ」「うさぎ」など星座で統一している模様だ。まあ普通といえば普通だが、''Hurricane うさぎ is very powerful and terrific one.'' などという英語報道を想像したら、ちょっとじわった。

 

北朝鮮

北朝鮮由来の名前は(現地語で)「ひばり」「かもめ」「つばさ」など、どれも台風とは思えない牧歌的な雰囲気だ。なぜか国鉄特急の名前とよく被っている。

 

■香港

32番のMan-yiは「海峡(現在は貯水池)の名前」らしい。悲しい。貯水池にしないでほしかった。それにしても、香港由来の名前は意味欄が説明的なものが多い。香港担当の人は何かと説明的な人間だったのではないかと思う。

 

■余計な心配をする

37番の「6月」が8月に来る、97番の「徘徊」がストレートに通過してゆくなどという、矛盾した事態が起こりかねない。一体、なぜそんな命名をしたのか疑問だ。

 

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こんな感じで、台風の名前なんかで思いの外楽しむことができたのだが、なんといっても強烈なのはフィリピン由来のものだった。「速い」「野生の牛」「むち打つこと」「鋭さ」「鋭い刃先」などカテゴリも品詞もまるで統一感がないため、コンテンツが大変渋滞している。

 

特に38番の「経験すること」という命名は素晴らしい。どうしてこの名前になったのか、まるで想像できないところがよい。それに、形而上学的な雰囲気さえ漂っている。こんな名前だと、「経験すること による経験したことのないような土砂災害に警戒してください」などという言明が生まれかねない。

 

ところで、僕は 経験すること を経験したことがあるのだろうか。台風140の名前はおよそ5年で1周するのだそうだから、制度の始まった平成12年から発生した 経験すること は概算で3~4個。関東を通過する台風が仮に10個に1個程度だとして、僕が 経験すること を経験した確率は30~40%ということになる。微妙だ。

こうなると俄然、経験したい。そして運よく台風の目が通ったら、「これが 経験すること の中心か!」と叫びたい。突如現れた哲学的な青空を仰ぎ、不気味なほど心地よい風に吹かれながら、「経験」という難題の本質を悟るのだ……………。

 

おわり。たわ言は以上です。